偶然に25歳の女性が三人揃った席で飲んで戻ってきた。私の25歳は幼なかったなと。




1999ソスN8ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2781999

 蜂さされが直れば終る夏休み

                           細見綾子

さされは、いたずら坊主の勲章だ。顔や手をさされて真っ赤にはれ上がっていると、仲間たちから尊敬のまなざしを集めることができる。「勇気ある者」というわけだ。何度もさされたことがあるが、あれは猛烈に痛い。徐々に患部が熱を持ち、疼いてくる。勲章なんていらないからと、ひどく後悔する。後悔するのは、さされるような振る舞いをしたからで、こちらが仕掛けなければ、蜂もさしたりはしないものだ。そんなことは百も承知で、挑発する。蜂の巣を、いきなり棒切れで叩き落としたりする。すかさず、わあっと攻撃してくる蜂の大軍を、巧みにかわしたときの得意たるや、天にも登る心地である。たとえ失敗してさされても、仲間に自慢話ができ、どっちに転んでも満足感は得られるのだが、やはり痛いものは痛い。そんな無茶をやった子の母親は、作者のように早く直ってほしいと心配する。経験上、何日くらいで治癒するかを知っている。数えてみると、直るころには夏休みもおしまいだ。いたずら坊主が学校に行ってくれるのはやれやれだが、一方で心淋しい気もしている。子供のアクシデントを素材に、晩夏の感傷を詠んだ句だ。母親ならではの発想だろう。(清水哲男)


August 2681999

 晩夏光バットの函に詩をしるす

                           中村草田男

に暦の上では秋であるが、実際に「夏終わる」の感慨がわくのは、今の時期だろう。「バット」(正式には「ゴールデンバット」)は煙草の銘柄。細巻きで短く、安煙草の代表格だった。「函」とあるけれど、いわゆるボックス・タイプではなかったように思う。それとも、私の知る以前のものは堅い函に入っていたのだろうか。いずれにしても、作者はふと浮かんだ句を、忘れないようにと煙草の函に書きとめたのである。とりわけて夏場に旺盛な創作欲を示した草田男のことだから、いささか秋色を増してきた光のなかでのメモには、特別な感傷を覚えたにちがいない。そして、このときに書かれた「詩」が、すなわちこの句であったと想像すると面白い。句が先にあって、句の中身をなす行為が後からついていっているからである。「見たまま俳句」ではなく「見る前俳句」だ。はじめて読んだときに、根拠もなくそう感じたのは何故だろうか。手近にメモ用紙がないときに、よく利用されるのが箸袋だが、この場合はやはり「バット」でないと具合が悪いだろう。金色の「バット(蝙蝠)」マークが晩夏の光色に照応して、隠し味になっている。(清水哲男)


August 2581999

 対岸は輝きにけり鬼やんま

                           沼尻巳津子

岸が輝いているのは、そちら側に夕日がさしているからだ。川岸に立つ作者の目の前を、ときおり大きな鬼やんまが凄いスピードで飛んでいく。吹く風も心地好い秋の夕暮れだ。心身ともにコンディションがよくないと、こうした句は生まれない。それにしても、「鬼やんま」とは懐しい。最近はめっきり少なくなったようで、最後に見かけたのはいつごろだったろうか。もう、四半世紀以上も見たことがないような気がする。昔の子供としては、当然「蜻蛉釣り」にうつつを抜かした時期があり、「鬼やんま」をつかまえるのが最も難しかった。なにしろ、飛ぶ速度が早い。尋常のスピードではない。だから、まず捕虫網などでは無理だった。太い糸の両端に小石を結びつけ、こいつを「鬼やんま」の進路に見当をつけて投げ上げる。うまくからみつけば、さしもの「鬼やんま」もばたりと落ちてくる寸法だ。熟練しないと、なかなかそうは問屋がおろさない。小さい子には無理な技であった。句が作られたのは、四半世紀ほど前のことらしい。東京の人だから、その当時の東京にも、いる所にはいたということだ。『華彌撒』(1983)所収。(清水哲男)




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