夜、部屋に蜻蛉が飛び込んできた。現代の蜻蛉は夜行性なのか。昔にはなかったこと。




1999ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0481999

 浴衣着て素肌もつとも目覚めけり

                           古賀まり子

でいるときよりも、何かを着たときのほうが肌の感覚を意識する。ぴしりと折り目のついた浴衣は、湯上がりに着ることが多いので、なおさらである。それを作者は「目覚める」と詠んだ。夜の「目覚め」だ。浴衣のルーツは知られているように、読んで字の如く、もともとは入浴のときに着たものである。蒸し風呂だったからで、湯に直接入る習慣は近世以降からと言われる。したがって表に着て出るなどはとんでもない話だったわけで、ぼつぼつ外着となってきたのは明治のころからのようだ。盆踊りの季節。ひところ衰えていた浴衣人気が、とくに若い女性を中心に盛り返してき、そこここで浴衣姿を見かけるようになった。帯と下駄をセットにして、壱万円を少し越える値段で売られている。最近見かける定番の姿は、下駄をはかずに厚底サンダルをはき、ケータイ(携帯電話)を手にぶら下げるといういでたち。澁谷の街あたりでは、ごく普通のスタイルである。厚底サンダルは、元来が歩きにくい履き物なので、闊歩できない不自由さが、かえって浴衣に似合う歩き方になるという皮肉。(清水哲男)


August 0381999

 腹当や男のやうな女の子

                           景山筍吉

当(はらあて)は、寝冷えを防ぐための腹巻き。腹掛。小学生の頃まで、私も腹巻きをして寝ていたような記憶がある。小さな子供用のものは、金太郎のように紐をつけて首から吊り、背中で結ぶ。最近はとんと見かけなくなり、夏の項目から削除してしまった歳時記もある。住環境の変化のせいだろう。昼寝のあとの子供が、そのまんまの格好で、よく戸外で遊んでいたものだ。句も、そうした子供の姿をとらえている。金太郎の腹当をしているし、動きも活発だから、男の子かとよく見たら、そうではなかったというわけ。いつの時代にも、こういうタイプの元気な女の子はいるもので、私は好きだ。どうかすると、一緒に遊んでいる男の子が泣かされたりする。小山靖昭に「腹掛の腹ふくらます母の前」があり、子供が母親に蛙のように腹をふくらませて見せている。こちらは、男の子。女性が、はじめてのブラジャーでみずからの乳房の存在を強く意識するように、子供の腹掛けだって、明確に腹の存在意識につながるということだろう。(清水哲男)


August 0281999

 ぼんぼりの家紋違へて川床隣る

                           橋本美代子

床(ゆか)は、京都鴨川沿いや貴船のそれが有名。要するに、夏の間だけ茶屋や料亭が川の上に桟敷を突き出して作る座敷のこと。カフェテラスの川版だ。当然、川床の下には水が流れるわけで、見た目には涼しそうだが、実際はどうなのだろうか。京都に住んでいたので毎夏遠目にはしたが、そんな高級な夕涼みはしたことがなく、わからない。家紋入りのぼんぼりを立てるなどは、いかにも豪勢だ。到底、一般人の立ち入れる場所ではない。若いころには、こうした遊びに反発も覚えたけれど、最近はそうも思わなくなってきた。当然のことながら遊びも文化だから、豪勢な遊びのできる人は少ないとしても、その豪奢に引っ張られるようにして、一般人の遊びのレベルも上がってくる理屈だ。当今の料亭は汚職の取り引きの場所ともなりがちだが、その閉鎖的な空間が育ててきた極上の遊びの文化、衣食文化の功績には多大なものがありそうだ。ひたすらに遊びのためにだけ、ありたけの智恵を絞る仕事は、たとえ商売とはいえ、素晴らしいことではあるまいか。ところで、お宅の家紋は何ですか。我が家は、たしか抱茗荷(だきみょうが)だったと……。(清水哲男)




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