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1999ソスN7ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2471999

 夕端居髪ふれゆきしものは誰か

                           小倉涌史

房装置などなかったころ、人は家の縁側や風通しのよい所に涼を求めた。これが「端居(はしい)」。仕事を終えた夕刻、そんな人の姿をよく見かけたものだ。庭では、まだ薄明るいのに、闇を待ちかねた子供らが花火に興じていたりした。作者は現代の人だが、冷房を嫌ってか、縁先に出ている。昼間の仕事に疲れていたのかもしれない。ぼんやりと表を眺めていると、かすかに髪の毛をさわられた感じがしたというのだ。誰も背後を通った気配もなく、たとえ通ったとしても、大人の髪をさわって通る人はいないだろう。でも、たしかに誰かが、髪に触れていったという感触が残った。見回しても、誰もいない。錯覚だろうか、幻覚だろうか。いずれにせよ、作者の鋭敏な感覚が紡ぎだした不思議な世界であり、しかも読者に「ありうること」と納得させる力のある句だ。そして、この句を得たほぼ一年後(1998)に、作者・小倉涌史は急逝することになる。さすれば「ふれゆきしもの」は、あるいは神であったのかもしれぬ。お会いしたことはないが、一歳年下の小倉さんは開設当初からの読者であり、種々アドバイスもしていただいた仲だった。今日が命日。彼の才能を惜しむ。なんで他の人の句を掲げられようか。遺句集『受洗せり』(角川書店・1999)所収。(清水哲男)


July 2371999

 傘さしてやや屋根裏となるキューリ

                           あざ蓉子

のことやら、よくわからない。が、あざ蓉子の句はそれでよいのである。彼女は、いわば「言葉の衝突」からポエジーを生み出す作家だから、句に理屈を求めても無駄である。日常的な次元で「意味」の成立するすれすれのところで、ひょいと体をかわすのが特長。その面白さを、感覚的に味わうのがいちばんだ。かといって、もちろん目茶苦茶というのではない。ちゃんと、効果は計算されている。上五中七までは、実に巧みで理屈的にもよくわかる。誰だって傘をさしたときには、屋根裏めいたように感じるときはあるだろう。問題は「キューリ」だ。句をストレートに読み下せば、傘をさしているのは「キューリ」になるけれど、それはあまりに無理な読みようなので、下七は上中十二との「衝突」をねらった企みと見た。いささか陰欝な屋根裏気分のなかに、すうっと一本のキューリが故なく差し込まれた感じ。このとき、途端に人は何を感じるだろうか。これで何も感じない読者がいるとすれば、作者の負けである。でも、そんなはずはないと、作者はキューリをぬっと突き出している。上中の巧みさよりも、結局はキューリのほうに心が残ってしまう不思議な句だ。俳誌「花組」(1999年・夏号)所載。(清水哲男)


July 2271999

 草茂みベースボールの道白し

                           正岡子規

岡子規の野球好きは、つとに有名だ。写真館で撮影したユニフォーム姿が残っているくらいだから、熱の入れようは尋常ではなかったらしい。明治19年(1886)の大学予備門(後の第一高等中学校)の寄宿舎報に「赤組は正岡常規氏と岩岡保作氏と交互にピッチとキャッチになられ」とあるのが、子規の野球熱を伝える最初の記事である。もっとも、百年以上も前の時代には「野球」という言葉はなかった。子規の文章を読むと「弄球」などと出てきて、はてなと思わされたりする。十代の終わり頃から二十代のはじめにかけて熱中した「弄球」も、突然の喀血によって終わりを告げる。句は、病床にあった子規が、幻のように野球熱中時代を回想したものだ。「草茂み」で、季節は夏。「道白し」は私が幻と言う所以で、白い球やユニフォームや、あるいは石灰で引いた(かもしれぬ)白いラインのことなどを、このように表現したのだろうと読める。病臥苦闘のなかにしてペースボールを思う気持ちは、そのまま子規の絶望の深さにつながっている。炎暑の床で白い幻を見た人の生涯は、まことに短かった。『寒山落木』所収。(清水哲男)




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