大暑。関東甲信梅雨明け。長崎で集中豪雨。そしてハイジャック。なんとも暑い日だ。




1999ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2371999

 傘さしてやや屋根裏となるキューリ

                           あざ蓉子

のことやら、よくわからない。が、あざ蓉子の句はそれでよいのである。彼女は、いわば「言葉の衝突」からポエジーを生み出す作家だから、句に理屈を求めても無駄である。日常的な次元で「意味」の成立するすれすれのところで、ひょいと体をかわすのが特長。その面白さを、感覚的に味わうのがいちばんだ。かといって、もちろん目茶苦茶というのではない。ちゃんと、効果は計算されている。上五中七までは、実に巧みで理屈的にもよくわかる。誰だって傘をさしたときには、屋根裏めいたように感じるときはあるだろう。問題は「キューリ」だ。句をストレートに読み下せば、傘をさしているのは「キューリ」になるけれど、それはあまりに無理な読みようなので、下七は上中十二との「衝突」をねらった企みと見た。いささか陰欝な屋根裏気分のなかに、すうっと一本のキューリが故なく差し込まれた感じ。このとき、途端に人は何を感じるだろうか。これで何も感じない読者がいるとすれば、作者の負けである。でも、そんなはずはないと、作者はキューリをぬっと突き出している。上中の巧みさよりも、結局はキューリのほうに心が残ってしまう不思議な句だ。俳誌「花組」(1999年・夏号)所載。(清水哲男)


July 2271999

 草茂みベースボールの道白し

                           正岡子規

岡子規の野球好きは、つとに有名だ。写真館で撮影したユニフォーム姿が残っているくらいだから、熱の入れようは尋常ではなかったらしい。明治19年(1886)の大学予備門(後の第一高等中学校)の寄宿舎報に「赤組は正岡常規氏と岩岡保作氏と交互にピッチとキャッチになられ」とあるのが、子規の野球熱を伝える最初の記事である。もっとも、百年以上も前の時代には「野球」という言葉はなかった。子規の文章を読むと「弄球」などと出てきて、はてなと思わされたりする。十代の終わり頃から二十代のはじめにかけて熱中した「弄球」も、突然の喀血によって終わりを告げる。句は、病床にあった子規が、幻のように野球熱中時代を回想したものだ。「草茂み」で、季節は夏。「道白し」は私が幻と言う所以で、白い球やユニフォームや、あるいは石灰で引いた(かもしれぬ)白いラインのことなどを、このように表現したのだろうと読める。病臥苦闘のなかにしてペースボールを思う気持ちは、そのまま子規の絶望の深さにつながっている。炎暑の床で白い幻を見た人の生涯は、まことに短かった。『寒山落木』所収。(清水哲男)


July 2171999

 里心あはれうすれて帰省せり

                           鳥越すみ子

省の句には、故郷や実家のありがたさや懐しさを詠んだものが多い。けれども、いつも誰もが帰省が楽しいとは限らない。べつに故郷を石もて追われたわけではないが、句のように、なんとなく「里心」が薄れる時期もある。それを「あはれ」と感じるのは、作者の人柄のよさを示す。特別な理由などは、何もないのだ。本人にもわからないところで、帰心が働かないのである。しかし、待っている親や家族がいると思う心で、結局は帰省することになる。そのうっとうしさと億劫な気持ち。実家を遠く離れて生活したことのある読者には、すぐに合点がいくだろう。田舎の親や家族には申し訳ないが、都会の実生活の場のほうがよほど魅力的だからだ。今の東京に出てきている若い友人に聞くと、二人に一人くらいは帰省したくないようなことを言う。もちろん、格別な理由など無いのだ。そこで私は先輩ぶって「帰ってあげなよ」などと言う。言いながら、この句を思い出したりもする。でも、せっかくの夏休みじゃないか、とにかく帰省してみろよと言いつづける。(清水哲男)




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