江藤淳氏。初対面は「成熟と喪失」の打合せ。銀座。先輩の横で話を聞いただけだが。




1999ソスN7ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2271999

 草茂みベースボールの道白し

                           正岡子規

岡子規の野球好きは、つとに有名だ。写真館で撮影したユニフォーム姿が残っているくらいだから、熱の入れようは尋常ではなかったらしい。明治19年(1886)の大学予備門(後の第一高等中学校)の寄宿舎報に「赤組は正岡常規氏と岩岡保作氏と交互にピッチとキャッチになられ」とあるのが、子規の野球熱を伝える最初の記事である。もっとも、百年以上も前の時代には「野球」という言葉はなかった。子規の文章を読むと「弄球」などと出てきて、はてなと思わされたりする。十代の終わり頃から二十代のはじめにかけて熱中した「弄球」も、突然の喀血によって終わりを告げる。句は、病床にあった子規が、幻のように野球熱中時代を回想したものだ。「草茂み」で、季節は夏。「道白し」は私が幻と言う所以で、白い球やユニフォームや、あるいは石灰で引いた(かもしれぬ)白いラインのことなどを、このように表現したのだろうと読める。病臥苦闘のなかにしてペースボールを思う気持ちは、そのまま子規の絶望の深さにつながっている。炎暑の床で白い幻を見た人の生涯は、まことに短かった。『寒山落木』所収。(清水哲男)


July 2171999

 里心あはれうすれて帰省せり

                           鳥越すみ子

省の句には、故郷や実家のありがたさや懐しさを詠んだものが多い。けれども、いつも誰もが帰省が楽しいとは限らない。べつに故郷を石もて追われたわけではないが、句のように、なんとなく「里心」が薄れる時期もある。それを「あはれ」と感じるのは、作者の人柄のよさを示す。特別な理由などは、何もないのだ。本人にもわからないところで、帰心が働かないのである。しかし、待っている親や家族がいると思う心で、結局は帰省することになる。そのうっとうしさと億劫な気持ち。実家を遠く離れて生活したことのある読者には、すぐに合点がいくだろう。田舎の親や家族には申し訳ないが、都会の実生活の場のほうがよほど魅力的だからだ。今の東京に出てきている若い友人に聞くと、二人に一人くらいは帰省したくないようなことを言う。もちろん、格別な理由など無いのだ。そこで私は先輩ぶって「帰ってあげなよ」などと言う。言いながら、この句を思い出したりもする。でも、せっかくの夏休みじゃないか、とにかく帰省してみろよと言いつづける。(清水哲男)


July 2071999

 暑中休暇の雀来てをり朝の庭

                           清水基吉

供であれ大人であれ、夏休みの朝は格別な気分になる。とくに休暇がはじまった朝は、いつまで寝ていてもよいようなものだが、かえって早起きをしたりする。日常とは異なる生活時間の流れを意識して、軽い興奮状態になるからだろう。静かで、なんでもないように写る句であるが、そこらあたりの気分をよくとらえている。休暇であろうとなかろうと、毎朝庭に雀は来ているわけで、しかし日頃は気にもとめない存在でしかない。あわただしい朝の時間に追われて、来ていることすら意識しない場合のほうが多いだろう。それを今朝ははっきりと意識して、しばらく眺め入っているという句境。私がサラリーマンだった頃は、こういうときに何故か心の内で「ざまあ見ろ」などとつぶやいていたのは、品性下劣のなせるところか。しかし、休暇も三日目くらいになると無性に人恋しくなってきて、「ざまあ見ろ」の旗はさっさと下ろし、同僚がいそうな新宿の酒場に向かったのだから「ざま」は無かった。格好よくなかった。(清水哲男)




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