別所毅彦氏死去。書きかけの原稿を放り出した。別所引き抜き事件という敗戦後哀話。




1999ソスN6ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2561999

 古日傘われからひとを捨てしかな

                           稲垣きくの

立てに、いつの間にか使わなくなった日傘が立ててある。気に入っていたので、処分する気にならぬままでいたのだが、もう相当に古びてしまった。普段はさして気にもならないのだけれど、日傘の季節になると、かつての恋愛劇を思い出してしまう。あのときは、きっぱりと私の方から別れたのだ。捨てたのだと……。その人のことを懐しむというのではなく、若き日の自分の気性の激しさに、あらためて感じ入っているというところだ。たしかに我がことには違いないが、どこか他人事のような気もしてくる。「捨てしかな」という感慨に、帰らぬ青春を想う気持ちも込められている。松浦為王に「日傘開く音はつきりと別れ哉」があり、こちらは未練を残しつつも捨てられた側の句だ。あのときの「パチン」という音が、いまだに耳に残っている。二人の作者はもとより無関係だが、並べてみると、なかなかに切ない。日傘一本にも、ドラマは染みつく。女性の身の回りには小物も多いので、この種のドラマを秘めた「物」の一つや二つは、処分できないままに、さりげなくその辺に置いてあるのだろう。下衆(げす)のかんぐりである。(清水哲男)


June 2461999

 茄子もぐは楽しからずや余所の妻

                           星野立子

子の父親である虚子の解説がある。「郊外近い道を散歩しておる時分に、ふと見ると其処の畠に人妻らしい人が茄子をもいでおる。それを見た時の作者の感じをいったものである。あんな風に茄子をもいでおる。如何に楽しいことであろうか、一家の主婦として後圃(こうほ)の茄子をもぐということに、妻としての安心、誇り、というものがある、とそう感じたのである。そう叙した事に由ってその細君の茄子をもいで居るさまも想像される」(俳誌「玉藻」1954年一月号)。その通りであるが、その通りでしかない。どこか、物足りない。作者がわざわざ「余所(よそ)の妻」と強調した意味合いを、虚子が見過ごしているからだと思う。作者は、たまたま見かけた女性の姿に、同性として妻として鋭く反応したのである。おそらくは一生、彼女は俳句などという文芸にとらわれることなく生きていくに違いない。そういう人生も、またよきかな。私も彼女と同じように生きる道を選択することも、できないことではなかったのに……。という、ちょっとした心のゆらめき。戦争も末期の1944年の句とあらば、なおさらに運命の異なる「余所の妻」に注目しなければならないだろう。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)


June 2361999

 梅雨晴や野球知らねばラヂオ消す

                           及川 貞

だドーム球場がなかったころ、梅雨時の野球ファンは大変だった。観に行く予定のある場合はもちろんだが、試合が予定されている各地の天候が気になって、それこそラジオの天気予報に一喜一憂したものである。予報で雨と告げられても、往時の天気予報は当たらないことが多かったので、試合をやっているのではないかと、その時間には念のためにラジオのスイッチを入れるのが常だった。句の作者は、まったく逆の立場である。番組表では野球中継が予定されており、梅雨の晴れ間でもあるけれど、ひょっとしたら野球は中止されていて、いつもの好きな番組が放送されているのではないかとラジオをつけてみた。でも、やっぱり野球をやっている。あちこちダイヤルを回してみても、どこもみな野球放送ばかりだ。がっかりして、消してしまった……。あるいは、それほどでもなくて、なんとなくラジオを聞きたくなっただけなのかもしれないが、いずれにしても、梅雨晴をめぐっての小さなドラマがここにある。ベテランのスポーツ記者のなかには、けっこう梅雨好きという人がいたりする。雨になると、昔は必ず仕事が休みになったからだ。(清水哲男)




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