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June 2361999

 梅雨晴や野球知らねばラヂオ消す

                           及川 貞

だドーム球場がなかったころ、梅雨時の野球ファンは大変だった。観に行く予定のある場合はもちろんだが、試合が予定されている各地の天候が気になって、それこそラジオの天気予報に一喜一憂したものである。予報で雨と告げられても、往時の天気予報は当たらないことが多かったので、試合をやっているのではないかと、その時間には念のためにラジオのスイッチを入れるのが常だった。句の作者は、まったく逆の立場である。番組表では野球中継が予定されており、梅雨の晴れ間でもあるけれど、ひょっとしたら野球は中止されていて、いつもの好きな番組が放送されているのではないかとラジオをつけてみた。でも、やっぱり野球をやっている。あちこちダイヤルを回してみても、どこもみな野球放送ばかりだ。がっかりして、消してしまった……。あるいは、それほどでもなくて、なんとなくラジオを聞きたくなっただけなのかもしれないが、いずれにしても、梅雨晴をめぐっての小さなドラマがここにある。ベテランのスポーツ記者のなかには、けっこう梅雨好きという人がいたりする。雨になると、昔は必ず仕事が休みになったからだ。(清水哲男)


June 1362004

 座席下に救命胴衣五月晴

                           津田清子

は「土佐日記」と題された連作の一句目。梅雨最中、案じていた天候が回復して青空が広がった。客室乗務員の説明通りに、座席の下には救命胴衣もちゃんと備わっている。備えあれば憂い無し、これで安心、幸先が良い。旅立ちの喜びが、素直に素朴に伝わってくる。二句目に「青杉山土佐の背骨のありありと」とあるので、船ではなく飛行機の旅と読むほうがよいだろうか。ただ臆病な私だけの感じ方かと思うが、飛行機にせよ船にせよ、乗るとすぐに救命胴衣のことを説明されると、途端に出発の喜びに翳りがさしてしまう。それまでは忘れていたことだけに、イヤな感じになる。というのも、救命胴衣が用意されていることと着用の仕方を教えられても、実際に触って試すことは禁じられているからだ。あれはいったい、どうしてなのだろうか。いざという場合に、半ばパニック状態のなかで冷静に説明を思い出して着用などできるものだろうか。到底、その自信はない。調べてみると、航空事故調査委員会が1982年に日航のJA8061型機が羽田沖に墜落した事故について、こんな報告書(建議書)を出していた。「JA8061の事故の場合、救命胴衣の所在場所が分からない乗客、救命胴衣の装着方法が分からなかった乗客が見受けられた。大型旅客機であっても、緊急着水した場合、海面に機体が浮いている時間は短く、一刻も早く救命胴衣を格納場所から取り出して、迅速かつ的確に装着し、適切な時機にこれを膨張させることが必要である。現在では、航空機内において客室乗務員が救命胴衣の装着デモンストレーションを行い、その格納場所を指示するなどしており、説明パンフレット等も座席後面のポケットの中に入っているが、JA8061の事故時の状況を省みるとき、救命胴衣に係る情報の乗客へのより一層の周知の方法について検討する必要がある」。その後どういうことが検討されたのかは知らないが、何かが変わったとは思えない。周知徹底は簡単なのに……。ただ「試着」させてくれさえすれば、それでよいのだからである。「俳句研究」(2004年7月号)所載。(清水哲男)


May 2252006

 五月晴ピアノの横の母の杖

                           吉野のぶ子

語は「五月晴」で夏。慣行上「梅雨晴」に分類しておくが、もはや五月晴は本来の意味から遠く離れて使われている。本意は、じめじめとした梅雨のなかの晴れ間を言った。が、現在では新暦五月の晴天を言うことになってしまったので、「五月晴」とは言っても、昔のそれのように、久方ぶりの晴天に弾むような嬉しさを表現する言葉ではなくなってしまった。季語にもいろいろあるが、「五月晴」のように極端に本意がずれてしまった例は、そんなにはないだろう。掲句の場合は、どちらの本意に添っているのかわからないけれど、句意からすると、現代のそれと読むのが妥当かと思われる。五月という良い季節を迎えてはいるのだが、ピアノの横には「母の杖」がぽつねんと置かれたままなのだ。ということは、作者の母は連日の好天にもかかわらず、外出していないことをうかがわせる。このピアノもおそらく若かりし日の母が弾いていたものだろうし、杖は脚が少し不自由になりかけたときに、母が使って外出していたものである。すなわち、若い頃にはビアノを弾くようなモダンで活発だった彼女が、だんだんと弱ってきて、しかしそれでも杖をついて外出していたというのに、それも今はかなわなくなった。そのことを、ビアノの横の杖一本で表現し得たところが俳句的であるし、母についての作者の感情を何も述べていないところに、読者は想像力を刺激され、何かもっと具体的に言われるよりも切なくなるのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 0152007

 五月晴豚舎のシャワー雫せる

                           上田貴美子

ャワーは夏の季語にもあるが、掲句のそれは涼を取ることが目的ではなく、あくまで豚舎の建物の一部としてのシャワーである。豚はとてもデリケートな動物で、外部から持ち込まれる病原菌にたいへん気を使うという。豚舎内に入る場合には、シャワーを浴びた後、靴下、下着いっさいを用意された衣服に着替えるのだそうだ。おそらくたくさんの豚たちが賑やかに生活している空間に隣合わせて、雫は一滴また一滴とこちら側の機能的な設備のなかに響く。無駄のない言葉の斡旋が、素知らぬ顔をして風景の背後にある真実にぐいぐいと迫っていく。清潔な環境、病気をさせないような配慮の先にあるものとは。ここにいる動物たちは、言うまでもなく食卓にのぼる食べ物になるために飼育されているのだ。わたしたちはいかに生かされているのか、そんな命のやりとりを声高に訴えることなく、掲句はしかしさりげなく差し出してみせている。見上げれば雲ひとつない、はりさけるほど美しい五月の空があるばかり。管理された豚たちは、外界の空を見る機会はあるのだろうか。ぽつり、ぽつりと静かな祈りのように雫がふくらんでは落ちる。『人間(じんかん)』(2004)所収。(土肥あき子)


June 2462009

 梅雨晴れや手枕の骨鳴るままに

                           横光利一

来「梅雨晴れ」は、梅雨が明けて晴れの日がつづくという意味で使われたらしいが、変わってきたのだという。つまり梅雨がつづいている間に、パッと晴れる日があったりする、それをさしている。掲出句もまさにそうした一句であろう。鬱陶しい梅雨がつづいている間は、あまり外出する気にもなれない。所在なく寝ころがって手枕(肘枕)して、雑誌でも開いていたのか、ラジオを聴いていたのか、それともやまず降る窓外の雨を眺めていたのか。……長い時間そんな無理な姿勢をしていたので、腕が痛いし、骨がきしんで悲鳴をあげる。そうした自分に呆れているといった図であろうか。畳の間にのんびり寝ころがって、そのような姿勢をつづけてしまうことだってある。浴衣かアンダーシャツ姿で、だらしなくごろりとして無聊を慰めるひとときは、一種の至福の時間でもある。覚えがあるなあ。「骨鳴るままに」と詠んだところに、自嘲めいたアイロニーが読みとれる。利一は門下生を集めた「十日会」で俳句を唱導し、「俳句は小説の修業に必要だ」とまで言って、自らも多くの俳句を残した。夏の句に「日の光り初夏傾けて照りわたる」「静脈の浮き上り来る酷暑かな」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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