「君が代」の君は象徴天皇だと。私は歌わない。戦争犠牲者へのせめてもの仁義だ。




1999ソスN6ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1461999

 ハンカチは美しからずいい女

                           京極杞陽

からいわれているように、女は不可解である。女は、「男の考えていることは単純で、手に取るように分かる」と考えて男を軽視し、自分たちは、不可解であることをいいことに、好きなことをし放題である。だが、男は女が考えるほど単純ではない。……と、これは実はお茶の水女子大で哲学を講じている土屋賢二氏のエッセイのイントロダクションだ。全日空のPR誌「ていくおふ」(86号)に載っていた。私などは臆病だから、怖くてとてもこんなことは言えない。が、たまに遠回しにこんな句をあげることで、単純ではない男の証明を試みてみたくはなる。ただ、よくよく考えてみると、この句もまた逆に男の単純さを証明しているだけのものかもしれない。作者は女の持つ小物にいたるまで、「いい女」としての完全性を求めているわけで、この求め方そのものが単純にして現実離れしているからである。この要求に応えられる女がいるとすれば、彼女は絵空事の世界にしか存在できないだろう。作者が「いい女」にがっかりした気持ちはわかるが、絵空事を現実化したいという欲求を、男の世界では、幼稚にして単純と評価することになっている。『但馬住』(1961)所収。(清水哲男)


June 1361999

 柿若葉大工一気に墨打ちす

                           木村里風子

ていて面白い仕事に、プロの大工仕事がある。鉋(かんな)をかけたり鋸で引いたり、組み立てて釘を打ったりする様子は見飽きない。一つ一つの技の見事さが、心地好いのだ。技がわかるのは、見る側に曲がりなりにも同じ作業の体験があるからで、一度も鉋をかけたことがない人には、大工の鉋かけも単純で退屈な様子にしか見えないだろう。最近は見かけなくなったが、「墨打ち」にも素人と玄人との差は歴然と出る。「墨打ち」は板をまっすぐに切るために、あらかじめ墨汁を含ませた糸で板に線を引いておく作業だ。これには「墨壷(すみつぼ)」という道具を使う。「墨壷」を見たことがない読者は、手元の事典類を参照してほしい。小さな国語辞書にも、メカニズムの解説は載っている。板の上にピンと張った糸をただ弾くだけの作業だが、素人がやると付けた線の幅がなかなか一定にならず、後で鋸を使うときに往生することになる。そこへいくと句の大工の技は確かなもので、一発でぴしりときれいな線を決めた。つやつやと照り返る柿若葉の下での作者は、大工のつややかな名人技にもうっとりとしている。(清水哲男)


June 1261999

 アジフライにじゃぶとソースや麦の秋

                           辻 桃子

題は「麦の秋」で、夏。「秋」を穀物の熟成する時期ととらえることから、夏であっても「麦の秋」と言う。麦刈りの人の昼食だろうか。あるいは、労働とは無関係な人の、一面に実った麦を視野に入れながらの食事かもしれない。空腹の健康とたくましい麦の姿が、よく照応している。「さあ、食べるぞ」という気持ちが活写されていて、気持ちのよい句だ。ひところ話題になった「お茶漬けの友」のテレビCMの雰囲気に同じである。ソースをじゃぶとかけたら、後は一気呵成にかっこむだけ。健啖家は、見ているだけでも爽快だ。ところで、あのCMを見たドイツ人がイヤそうな顔をした。音を立てて物を食べることに抵抗があったわけだが、ビール天国のドイツのCMでは、咽喉を鳴らしてビールを飲むシーンなども皆無だという。日本だって、昔は蕎麦以外は音を立てないで食事をするのが礼儀だった。それが、いつしか安きに流れはじめている。で、もう一つの余談。私はアジフライにソースはかけない。醤油を使う。好みの問題だが、何かと言うと醤油を使う人が、我が世代には多い。子供の頃に、ソースが出回っていなかったせいだろう。(清水哲男)




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