粉飾決算での入獄者に人としての悪の実感はないだろう。故に人として私は同情する。




1999年6月11日の句(前日までの二句を含む)

June 1161999

 紫陽花や白よりいでし浅みどり

                           渡辺水巴

陽花(あじさい)は、別名を「七変化」とも言うように、複雑に色を変えていく。薄い緑色から白色、青色、そして紅紫色といった具合だ。句では「白よりいでし浅みどり」と変化過程にある紫陽花の一時期の色を詠んでいて、雑に読むと錯覚しやすいが、この「浅みどり」が薄い緑色ではないことがわかる。「白」の次は「青」でなければならないからだ。『広辞苑』を引くと「浅緑」には薄い緑色の意味の他に「薄い萌黄色」と出ている(「空色」とも)。この「萌黄色」がまた厄介で、黄緑色に近い色と受け取ると間違いになる。藍染めに源を持つ色彩に「浅黄色」があり、「薄い萌黄色」はこれに近い。つまり「薄い水色」だ。中世で「浅黄色」というと、薄い青色のことを指した。したがって、いまでは「浅黄色」と書かずに、青を強調して「浅葱色」と表記するのが一般的になっている。私たちが交通信号の「緑」を平気で「青」と言うように、日本人の色意識には、「緑」と「青」の截然とした区別はないのかもしれない。なんだかややこしいが、他にも日本の色の名前には面白いものがたくさんある(翻訳はなかなかに困難だ)。白秋の「城ケ島の雨」の英訳があって、外国人が歌っているのをレコードで聞いたことがある。「利休鼠の雨が降る」をどう訳していたのだったか。忘れてしまったのが残念だが、たしか「RAT」という言葉は入っていたように思う。『水巴句集』所収。(清水哲男)


June 1061999

 吊皮にごとりとうごく梅雨の街

                           横山白虹

なずけますね。「ごとりとうごく」のは、物理的にはむろん電車のほうだが、梅雨空の下の街は灰白色でひとまとめになっているように見えるので、街のほうが傾いで動いたように思える。雪景色の場合はもっと鮮明に、そのように感じられる。これが逆に晴天だと、街の無数の色彩がそれぞれに定着した個を主張してくるので、街ぜんたいが揺れるようには写らない。「だから、どうなんだ」と言われても困るけれど、俳句表現とは面白いもので、この「だから、どうなんだ」という反問を、実は句の支えにして成立しているようなところがある。ここで俳句の歴史を詳述する余裕はないが、乱暴に言っておけば、俳句は常に一つの「質問」の構造を先験的に持つ文学だ。これは言うまでもなく「連句」の流れから来ている。発句を一行の詩として屹立させようとした正岡子規らの奮闘努力の甲斐もなく(!?)、無意識的にもせよ、反問をあらかじめ予知した上での俳句作りは後を絶たない。「反問」と言うから穏やかではないのであって、一句の後に読者が勝手に七七を付けてくださいよ(読者の印象を個人的にふくらませてくださいよ)と、いまだに多くの俳句は呼びかけを発しつづけている。こんなに独特な表現様式を持つ文学は、他にないだろう。(清水哲男)


June 0961999

 夜の蟻迷へるものは弧を描く

                           中村草田男

の畳の上に、どこからか迷いこんできた蟻。電灯の光の下で、おのれが置かれた異環境から逃れようと、半狂乱の様子で歩き回っている。見ていると、蟻はまさに歩き回っているだけなのであって、同じ弧を描くばかりだ。その円弧から少し外れれば、簡単に脱出できるのに……。思えば人間もまた、迷いはじめるとこの蟻のように、必死に同じところをぐるぐる回りつづけるだけなのだろう。まことに格調高く、句は「迷へるもの」の真髄を言い当てている。説教でもなく自嘲でもなく、作者は冷静に自己納得している。そして、もとより作者は、この蟻を殺さなかっただろう。数多い草田男句のなかでも、屈指の名句だ。わずかに十七文字の世界で、これだけの大容量の世界を表出できる俳人は、そうザラにいるものではない。以下、余談。この句にそってではなかったが、このような趣旨のことを、ある新聞に書いたことがある。ご覧になった作者のお嬢さんが、そのコラムを切り抜いて仏壇に上げてくださったと仄聞した。決して、自慢しているのではない。草田男の仕事の偉大を思う一人の読者として、涙が出るほどに嬉しかったので、どこかに書きつけておきたかっただけ。『来し方行方』(1957)所収。(清水哲男)




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