今夜は新宿の酒場の名前を冠した詩人の集い「柚子の会」。いつもパソコン話で終始。




1999ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0561999

 ジーンズに腰骨入るる薄暑かな

                           恩田侑布子

手いなア。洗いたてか、新調か。ごわごわしたジーンズを穿くときには、たしかにこんな感じになる。ウエスト・ボタンをかけるときの、あのキュッと腰骨を締め上げる感覚が、これから夏めいてきた戸外に出ていく気分とよくマッチしていて、軽快な句に仕上がっている。極めて良質な青春句だ。ジーンズといえば、私は一年中ジーンズで通している。親しかった人の葬儀にも、ジーンズで出かける。これだと、黒づくめの集団に埋没することなく、故人がすぐに私を識別できると思うからだ。変わっていると言われるけれど、急に真っ黒なカラスに変態する人のほうが、よほど変わっている。こんな具合で、室内着兼外出着兼礼服兼……と、三十代からずっとそうしてきた。会社勤めのころには、いっぱしにスーツやネクタイに凝ったこともあったけれど、一度ジーンズの魅力に取りつかれてしまうと、ネクタイ趣味など金がかかるだけで愚劣に思えてくるのだった。作者の場合のジーンズは気分転換のためだが、私の場合は、気分の平衡感覚を崩さないためである。スヌーピーの漫画に出てくる「ライナスの毛布」のようなものかもしれない。ということは、精神的に幼いのかなア。(清水哲男)


June 0461999

 君地獄へわれ極楽へ青あらし

                           高山れおな

山れおな(本名)は、本年度「スウェーデン賞」(宮城県中新田町の賞)の受賞俳人。男性。句の漢字と平仮名の字配りを見てもわかるように(「青嵐」ではなく「青あらし」と平仮名にこだわるところ)、なかなかに言語感覚に優れた人だと思う。いわゆるセンスがいいのだ。句の中身を「いい気なものだ」と思ったら、間違いである。「地獄」行きであれ「極楽」行きであれ、どうせ死んだら同じことだと、作者はすがすがしい青嵐のなかで感じているだけのことなのだから……。「地獄」と「極楽」に分かれるということは、現世でしか一緒にいられないという思いを強くしていることでもある。君を「地獄」行きと言っているのは、自分を「地獄」行きと規定したら「詩」にならないとわかっているからだ。本当は、どっちだっていいのだけれど、作者はみずからの「詩」の発現のためにだけ、こう詠んでいる。この人の俳句としては、必ずしも良い出来ではないかもしれない。が、私はこの飛び上がり方が、今後の俳句界にはよい影響をもたらすような気がしている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


June 0361999

 はたらいてもう昼が来て薄暑かな

                           能村登四郎

ほど体調がよいのだろう。仕事に集中できているから、あっという間に時間が経ってしまう。ふと空腹を覚えて時計を見ると、もう昼時である。表の陽光には、既に夏に近いまぶしさが感じられる。心身ともに心地好い充実感で満たされた一句だ。しかし同日の同じ職場にも、一方では「まだ昼か」と、時間の経過を遅く感じている人もいただろう。人それぞれの時間感覚は、それこそそれぞれに違っていて面白い。たとえば、妙に就寝時刻にこだわる人もいる。日付が同じ日のうちに床につくと、何だかとても損をしたような気になる人は結構多い。たとえ5分でも10分でも明日まで起きていないと、気がすまないのである。でも、他人のことは笑えない。私の場合は、表の明るさにこだわる性質(たち)だからだ。表が明るくなっても寝ているのは、とても損な気がしてならない。だから、夏場になると、どんどん早起きになる。昼寝も、なるべくしないようにする。理由は考えたこともないのだけれど、ひょっとすると代々受け継いできた農民の血のせいなのかもしれぬ。と、時々そう思ったりする。『人間頌歌』(ふらんす堂文庫・1990)所収。(清水哲男)




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