June 0161999

 嘘ばかりつく男らとビール飲む

                           岡本 眸

ろいろな歳時記に載っている。ビールの句には、なかなかよい作品がないが、この句は傑作の部類に入るだろう。しかし、なぜか作者の自選句集からは削除されている。「男ら」とぼかしてはあっても、やはりさしさわりがあるためなのだろうか。作者とは無関係の「男ら」の一人としては、まあ「嘘ばかりつく」わけでもないけれど、女性が同席していると、ついつい格好をつけて大言壮語に近い発言はしたくなる。できもしないことを言ったり、過去を美化したりと、要するに女性に受けようと懸命になるわけだ。それを、こんなふうに見透かされていたのかと思うと、ギョッとする。うろたえる。だから、傑作なのだ。歳時記の編者はたいていが男なので、ギャフンとなって採り上げざるをえなかったのだろう。作者が考えている以上に、男はこうした句におびえてしまう。ただし、酒の席での男の欠点にはもう一つあって、嘘よりもこちらのほうが女性には困るのではあるまいか。すなわち、やたらと知識をひけらかし、何かというと女性に物を教えたがるという欠点。そんな奴に、いちいち感心したふりをして相槌を打つ女性もいけないが、調子に乗る男はもっと野暮である。たまに、私もそうなる。夕刻の「ちょっとビールでも」の季節にも、いやはや疲れる要因はいくらでもあるということか。(清水哲男)


May 3151999

 親切な心であればさつき散る

                           波多野爽波

っぱり、わからない。わからないけれど、しかし、なぜか心に残る句だ。俳句には、こういう作品がときたまある。心にひっかかる理由の一つは「親切な心」という詠み出しにあるのではないか。芭蕉以来三百有余年の俳句の歴史のなかで「親切」などという言葉で切り出した句は、他にないのではないか。しかも、何度読んでも、この「親切な心」の持ち主は不明である。でも、つまらない句とは思えない。なんだか、散る「さつき」に似合っている気がしてくるのだ。わからないと言えば、だいたいが「さつき(杜鵑花)」自体もよくわからない花なのであって、私には「さつき」と「つつじ」の違いは、いつまで経ってもこんがらがったままである。この句については、永田耕衣の文章がある。「軽妙だが永遠に重味づくユーモアがある。滑稽といい切った方が俳句精神を顕彰するであろう活機に富む。活機といってもどこまでも控え目で出さばらぬばかりか、何のテライもない。いわば嵩ばらぬリズムの日常性がいっぱいだ。軽味も重味もヘッタクレもない。融通無碍、イナそれさえもない日常茶飯の情動だろう」。うーむ、わかるようで、わからない。もとより俳句は、わからなければいけない文学ではないのであるが……。『湯呑』(1981)所収。(清水哲男)


May 3051999

 こわれてもあてにしている扇風機

                           南部さやか

学校五年生の作品。扇風機が必要な真夏というよりも、これから必要になる初夏の句と読んだほうが面白い。たぶん、この扇風機は、昨年の夏の終わり頃にこわれてしまったのだ。すぐに修理に出しても、来年の夏までは使わないのだからということで、まだそのままにしてある。そのうちにと思っているうちに、早いものでだんだんと再び必要な季節が近づいてきた。家族の間では、もうそろそろ修理に出さないと間に合わないという思いはあるのだけれど、一方で、電源を入れて叩いたりすれば、またいつもの夏と同じように勢いよく回転しだすような気もしている。すなわち、なんとなく「あてにしている」のだ。作者は素直に、そんな家族の気持ちを代弁している。鋭くも可笑しい着眼だ。家電製品の故障については、しばしばこうした気持ちになる。その昔、鳴らなくなったラジオを叩いてみたら鳴りだしたという経験は、多くの方がお持ちだろう。ところが最近では、画面がフリーズするとパソコンを叩く人がいる。パソコンが家電製品になってきた証拠である。『第二十七回・全国学生俳句大会入賞作品集』(1997)所載。(清水哲男)




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