季語が冷麦の句

May 2451999

 大阪も梅田の地下の冷しそば

                           有馬朗人

だ文部大臣ではなかった1991年の句。句集だけを開いても、とにかく国内外の旅の多い人だ。外国に取材した俳句も数多い。が、北欧だとかイスラエルだとかと私の未知の土地での作品は、そういうものかと思うだけで、よくはわからない。「神学者西瓜の種を吐きあひて」(イスラエル七句のうち)。そんななかで、掲句のような世界に出会うとホッとする。よくわかる。梅田近辺には大きなホテルがいくつかあるから、たぶん作者はそこに宿泊したのだ。公務での出張だろう。東京行きの新幹線を利用するには、梅田の駅(大阪駅)から新大阪駅まで電車に乗る必要がある。しかし、新幹線の発車時刻までには少々時間があるので、あらかじめ腹拵えをしておこうと、広い梅田の地下街のとある店で「冷しそば」を注文したというのである。「冷しそば」は大阪名物でも何でもなく、とりあえずすぐに出てくるものを、そそくさと食べるというだけのこと。「大阪も」と大きく振り出して、ありふれた「冷しそば」に行き着き、作者は半ば苦笑している。出張のあわただしい気分を、食べ物を通じてとらえてみせたところが面白い。『立志』(1998)所収。(清水哲男)


July 0372003

 冷麥の氷返すがへす惜しき

                           中原道夫

語は「冷麥(ひやむぎ)」で夏。より冷たい状態で賞味してもらうべく、皿には適度に「氷」をあしらって出す。見た目にも涼やかだ。句の冷麦は、酒席などで出されたものだろう。いずれにしても、他人が同席している場である。作者はその場で、実は氷をひとかけら口にしたかった。しかし、まさか子供じゃあるまいし、人前でそんなことはできない。はしたないという意識が先に立って、逡巡しながらもあきらめたのである。そのことが「返すがへす」も残念だと、一人になってから悔しがっている図だ。「返すがへす」には、思い切って口にしようかと、箸の先で氷をさりげなく返したりした仕草に掛けられている。いっちょまえの男が、氷ごときでうじうじするとは何たることか。読者は笑ってしまうかもしれないが、でも、こういうことは誰にでも起きているのではあるまいか。この「氷」を他の何かに置き換えれば、思い当たることの一つや二つは、誰にもあると思う。ああ、あのときに食べとけばよかった、失敗したなあ。と、私などはしょっちゅうだ。たとえば、宴席でのデザート。句の氷とは違って、食べたってはしたなくも何ともないのだが、それでも口にするタイミングというものがある。さてお開きとなり、みなが立ち上がるところで食べたくなったら、慌てて口に持っていくのはみっともないから、未練がましくもあきらめるしかない。こうなると、いかに豪勢なメロンでも、句の氷と同格になってしまう。宿酔気味で喉が乾いて深夜に目覚め、ふっと思い出して「返すがへす惜しき」と何度思ったことか。掲句の収められている句集のタイトルは『不覺』(2003)と言う。(清水哲男)




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