北上市の「詩歌文学館」へ。手鞠花は満開だろう。桐の花が残っているか気にかかる。




1999ソスN5ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2251999

 泣けとこそ北上河原の蕗は長けぬ

                           岸田稚魚

木歌集『一握の砂』に「やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに」(原文は三行の分かち書き)がある。作者は、もとよりこの歌を百も承知で作っている。「柳」に対して「蕗」を持ってきた。このとき、稚魚は六十代半ば。若さ溢れる啄木短歌を向こうにまわして「泣けとこそ」と詠んだ作者の心根は、どんなものだったろうか。啄木の見ている北上川はあくまでも明るいが、稚魚の立っている北上河原は、曇り空の下にあるようだ。そこから「柳」も目には入るのだけれど、もっと下方にびっしりと生えている「蕗」のほうに自然と心を奪われている。成長した蕗は、暗緑色だ。たとえ陽射しがあったとしても、柳のように陽気な色ではない。ただし、暗い色をしているからといって、その色彩やたたずまいが心に染みいらないというわけではない。啄木のような若者にはわからなかったのか、あるいはわかろうとしなかったのか。ならば、ずばりと私(作者)が北上の魅力を言い当ててみせようというのが、稚魚の気概であったろう。私にも、少しはこういうことがわかるようになってきたようだ。悲しくもなし、かといって嬉しくもなし。『花盗人』(1986)所収。(清水哲男)


May 2151999

 顔よせて鹿の子ほのかにあたたかし

                           三橋鷹女

語は「鹿の子(かのこ)」で、夏。単に「鹿」と言えば、秋の季題となる。親鹿の後について歩く鹿の子があまりに可愛らしいので、思わず顔を寄せると、ほのかにあたたかい体温を感じた。女性ならではの優しい心情だ。まず、おおかたの男はこういうことをしない。いや、できない。「頬よせて」ではなく「顔よせて」に注目。「顔をよせる」のだから、目はしっかりと鹿の子をとらえている。そしておそらくは、物怖じしない鹿の子の目も、作者を見つめ返しているのだろう。この交感のありようが、なおさらに女性を感じさせるのだ。この句に「母性を感じる」人もいると思うが、私などには「母性」よりも「女性」性に満ちた作品と写る。小さいころから、女性には自然にこういうことをする「性(さが)」が備わっていると思っている。やたらと「カワイイッ」を連発する女性には辟易させられるが、それもまた、こうした行為に自然につながっていく「性」のなせるところなのかもしれない。1936年の作。『向日葵』所収。(清水哲男)


May 2051999

 孤児たちに映画くる日や燕の天

                           古沢太穂

書に「港北区中里学園にて」とある。戦災孤児の収容施設かと思われる。楽しみにしていた巡回映画がやってくる日の、子供たちの沸き立つような喜びの気持ちが「燕の天」に極まっている。こうした施設にかぎらず、敗戦後の一時期、子供たちにとっての映画は「くる」ものであった。大都会ではどうだったのかは知らないが、私が通っていた村の学校にも、ときどき巡回映画がやってきた。そんな日は、嬉しくて授業にも身が入らない。昼食が終わると、みんなで机と椅子を教室の片側に寄せ、窓には暗幕がわりに社会科で使う大きな地図などを貼り付けて準備した。そこへ、16ミリ映写機とフィルムの缶を抱えたおじさんと先生が登場。拍手する子もいたっけな。おじさんはまず映写機の電源を入れ、シーツのようなスクリーンに向けて光を放ち、ピントを合わせる作業にかかる。僕らは、その段階から固唾をのんで見守ったものだ。そんなふうにして、数多くの映画を見た。谷口千吉の『銀嶺の果て』や黒沢明の『酔いどれ天使』といった大人向きの作品も、どういうわけか上映された。ラブ・シーンになると、先生があわててレンズの前を押さえていた。古沢太穂は共産党員で、苛烈な労働闘争の句も多いが、子供を見る目は限りなく優しかった。「巣燕仰ぐ金髪汝も日本の子」。「汝(なれ)」は米兵を父とする混血児である。『古沢太穂句集』(1955)所収。(清水哲男)




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