「お相撲」が始まった。この「お」は御前の「御」。「お野球」とは言えないわけだ。




1999ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1051999

 愛鳥の週に最たる駝鳥立つ

                           百合山羽公

鳥週間は、五月十日より一週間。ああ、駝鳥も鳥だったんだ……と、ちょっと意表を突かれる句。もちろん駝鳥も鳥には違いないが、愛鳥週間というとき、飼われて生きている鳥は「愛」の対象からは除外されている。愛鳥の発想が、山林や自然保護に発しているからだ。そこで作者は、あえて「最たる」と強調して駝鳥を立たせている。高村光太郎の「駝鳥」の詩ほどの社会意識はないにしても、どこかで「愛鳥」の勝手を皮肉っている。駝鳥の超然とした姿を通して、理不尽なことよ、と言っている。また今日では、飼われていなくても、愛鳥の心には不都合な鳥もいる。カラスなどは、その「最たる」ものだろう。戦後に書かれた柴田宵曲の文章に、こんな件りがある。「かつて先輩から聞かされた話によると、以前は東京の空も、麗かな日和には鳶(とび)や鴉(からす)が非常に多く飛んだものだが、今は少しも見えない」(『新編・俳諧博物誌』岩波文庫)と。鳶はともかく、いまや鴉は我が物顔で東京の空を飛んでいる。とても「カラスといっしょに帰りましょ」という童謡の気分にはなれない。句の「駝鳥」を「カラス」に変えても、一向にかまわない「愛鳥週間」とはあいなってきた。(清水哲男)


May 0951999

 そら豆剥き終らば母に別れ告げむ

                           吉野義子

さしぶりに実家に戻っている娘が、老いた母のもとを去りがたく思っている。もう少し母と一緒にいたいと思いながらも、そろそろ出発しなければ、列車の時間に間に合わない。母の夕餉のためのこの蚕豆(そらまめ)をむき終わったら、帰ることにしようと心に決めている。どこか、短歌的な世界を思わせる(字余りの技巧)情感溢れる作品だ。それはそれとして、父と子との場合は、こういうふうにはならない。「じゃ、また……」などと、そっけなく息子は帰っていく。淡白なものだ。そこへいくと、母と娘の情愛の濃さは、私など男にとっては不思議に思えるほどである。ひさしぶりの邂逅にも、すぐに口喧嘩をはじめたかと思えば、次の瞬間にはけろりと笑い合ったりしている。まことに母娘の関係は測りがたしと、我が家の女性たちを見ていても、つくづくと思ってきた。そんな関係のなかで、娘は一心に蚕豆をむいている。さみどり色の大粒の蚕豆を台所に残して、娘はまた彼女の実生活に戻っていくのだ。束の間としか思えなかった母親との時間。別れた後に、この蚕豆のきれいな色彩が、娘より母への万感の感情を手渡してくれるだろう。(清水哲男)


May 0851999

 ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ

                           深見けん二

夏よりも、初夏のビヤホールのほうが楽しい。咽喉が乾く真夏はビールに飢えるという感覚があって、どうしても飲み方がガサツになってしまう。そこへいくと、初夏のうちは乾きにも余裕があるので、楽しむという飲み方ができるからだ。椅子の背中がぶつかりあっても、それすらが嬉しいという感じ……。句のビヤホールがどこかは知らないが、椅子がぶつかるからといって、小さな店とは限らない。銀座の「ライオン」などは大きな店だけれど、テーブルをばらまいたように配置しているので、しょっちゅうぶつかる。愛する店の一つだ。いちばん好きだったのは、まだ二十代の頃、お茶の水は文化学院のそばにあったビヤガーデンだった。文字通り、庭で飲ませてくれた。いまどきのカフェテラスとやらのように埃だらけになることもなく、新緑に染まりながら飲むビールの味は、我が青春の味そのものであった。勤め先の出版社が駿河台下だったので、仲間とよく出かけて行ったっけ。いつの間にか、つぶれてしまったのは寂しい。こんなことを書いているとキリがなくなる。が、もう一つ。この季節に意外にもよい雰囲気なのは、有楽町駅近くの「ニュー・トーキョー」だ。なかなか窓際には坐れないが、明るいうちに飲んでいると、街路樹の緑も程よく、道行く人もそれぞれ格好良く、しばし陶然となる(はずである)。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)




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