本日の余白句会は神楽坂の料亭という豪華版。皆、シュンとなるか、有頂天になるか。




1999ソスN5ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0851999

 ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ

                           深見けん二

夏よりも、初夏のビヤホールのほうが楽しい。咽喉が乾く真夏はビールに飢えるという感覚があって、どうしても飲み方がガサツになってしまう。そこへいくと、初夏のうちは乾きにも余裕があるので、楽しむという飲み方ができるからだ。椅子の背中がぶつかりあっても、それすらが嬉しいという感じ……。句のビヤホールがどこかは知らないが、椅子がぶつかるからといって、小さな店とは限らない。銀座の「ライオン」などは大きな店だけれど、テーブルをばらまいたように配置しているので、しょっちゅうぶつかる。愛する店の一つだ。いちばん好きだったのは、まだ二十代の頃、お茶の水は文化学院のそばにあったビヤガーデンだった。文字通り、庭で飲ませてくれた。いまどきのカフェテラスとやらのように埃だらけになることもなく、新緑に染まりながら飲むビールの味は、我が青春の味そのものであった。勤め先の出版社が駿河台下だったので、仲間とよく出かけて行ったっけ。いつの間にか、つぶれてしまったのは寂しい。こんなことを書いているとキリがなくなる。が、もう一つ。この季節に意外にもよい雰囲気なのは、有楽町駅近くの「ニュー・トーキョー」だ。なかなか窓際には坐れないが、明るいうちに飲んでいると、街路樹の緑も程よく、道行く人もそれぞれ格好良く、しばし陶然となる(はずである)。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


May 0751999

 山葵田に醤油どころの御一行

                           武田夕子

ふふっと、思わずも。現代風談林派的一句とでも言うべきか。故・林家三平ならば「どこが面白いのかと言うと……」と、得意満面でやるところだ。でも、刺身や鮨を知らない外国人には、解説しても可笑しさは伝わらないだろう。醤油どころというのだから、たとえば千葉県野田市あたりの観光客御一行(ごいっこう)が、信州の山葵田(わさびだ)を訪れたというわけだ。これに漁業組合の団体でも合流したら、立派な刺身になる(笑)。ただし、こういう句は一瞬面白いのだが、すぐに飽きてしまうのも事実だ。その点では、一度しか使えない小咄のネタに似ている。山葵といえば、最近「山葵ビール」なるものを飲んだ。正確に言えば「山葵エキス入り発砲酒」。岩手の某酒造が売り出したこの珍奇な飲み物は、山葵の香が口いっぱいに広がって、最初の一杯はなかなかに美味い。期待した山葵の辛味は抜いてある。が、それこそ一瞬は美味いのだが、二杯目からは逆にエキスの香が鼻についてきて、極端に味が落ちる感じだった。これまた、現代風談林派的発砲酒というところか。話題性は十分だが、永続性となると難しい。「朝日俳壇」(朝日新聞・1999年5月2日付 [金子兜太選] )所載。(清水哲男)


May 0651999

 毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

                           中村草田男

ささか、体調がすぐれないのだろう。作者は毒消しを飲んでいるのだが、しかし、いよいよ夏がやってきたということで、憂鬱な心は吹っ飛んでいる。さあ、どんどん俳句を書くぞと、その気持ちが体内の毒に勝っている。実際、草田男には夏の句が多い。季節ごとに分冊された歳時記を見ても、夏の巻がいちばん分厚いから、夏は俳人一般にとっても最も創作欲がわく季節なのかもしれない。ところで、「毒消し」はその昔に富山の薬売りが置き薬としていた一種の解毒剤だ。何の毒を消すのかは定かでないままに、私も腹痛のときに飲んだことがある。薬売りは年に一度、定期的に各家を訪問して、昨年置いて帰った薬の飲まれた分だけの料金を徴収し、また新しい薬を独特の木箱に補充して去っていく商売だった。医療機関や救急医療制度が発達していなかった時代の、なかなか巧みに考えられたシステムよる商法で、覚えている読者も多いだろう。貧乏な我が家では、この毒消しをいかに痛みを我慢して飲まないですますかが、切実なテーマであったことを思い出す。(清水哲男)




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