NATO軍機がユーゴに菓子などを投下したという情報。我が国の戦争中を思い出した。




1999ソスN5ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0751999

 山葵田に醤油どころの御一行

                           武田夕子

ふふっと、思わずも。現代風談林派的一句とでも言うべきか。故・林家三平ならば「どこが面白いのかと言うと……」と、得意満面でやるところだ。でも、刺身や鮨を知らない外国人には、解説しても可笑しさは伝わらないだろう。醤油どころというのだから、たとえば千葉県野田市あたりの観光客御一行(ごいっこう)が、信州の山葵田(わさびだ)を訪れたというわけだ。これに漁業組合の団体でも合流したら、立派な刺身になる(笑)。ただし、こういう句は一瞬面白いのだが、すぐに飽きてしまうのも事実だ。その点では、一度しか使えない小咄のネタに似ている。山葵といえば、最近「山葵ビール」なるものを飲んだ。正確に言えば「山葵エキス入り発砲酒」。岩手の某酒造が売り出したこの珍奇な飲み物は、山葵の香が口いっぱいに広がって、最初の一杯はなかなかに美味い。期待した山葵の辛味は抜いてある。が、それこそ一瞬は美味いのだが、二杯目からは逆にエキスの香が鼻についてきて、極端に味が落ちる感じだった。これまた、現代風談林派的発砲酒というところか。話題性は十分だが、永続性となると難しい。「朝日俳壇」(朝日新聞・1999年5月2日付 [金子兜太選] )所載。(清水哲男)


May 0651999

 毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

                           中村草田男

ささか、体調がすぐれないのだろう。作者は毒消しを飲んでいるのだが、しかし、いよいよ夏がやってきたということで、憂鬱な心は吹っ飛んでいる。さあ、どんどん俳句を書くぞと、その気持ちが体内の毒に勝っている。実際、草田男には夏の句が多い。季節ごとに分冊された歳時記を見ても、夏の巻がいちばん分厚いから、夏は俳人一般にとっても最も創作欲がわく季節なのかもしれない。ところで、「毒消し」はその昔に富山の薬売りが置き薬としていた一種の解毒剤だ。何の毒を消すのかは定かでないままに、私も腹痛のときに飲んだことがある。薬売りは年に一度、定期的に各家を訪問して、昨年置いて帰った薬の飲まれた分だけの料金を徴収し、また新しい薬を独特の木箱に補充して去っていく商売だった。医療機関や救急医療制度が発達していなかった時代の、なかなか巧みに考えられたシステムよる商法で、覚えている読者も多いだろう。貧乏な我が家では、この毒消しをいかに痛みを我慢して飲まないですますかが、切実なテーマであったことを思い出す。(清水哲男)


May 0551999

 力ある風出てきたり鯉幟

                           矢島渚男

田峠の初期に「寄らで過ぐ港々の鯉のぼり」があって、これらの鯉幟は海風を受けているので、へんぽんと翻っている様子がよくうかがえる。が、内陸部の鯉幟は、なかなかこうはいかない。地方差もあるが、春の強風が途絶える時期が、ちょうど鯉幟をあげる時期だからだ。たいていの時間は、だらりとだらしなくぶら下がっていることが多い。そこで、あげた家ではいまかいまかと「力ある風」を期待することになる。その期待の風がようやく出てきたぞと、作者の気持ちが沸き立ったところだろう。シンプルにして、「力」強い仕上がりだ。鯉幟といえば、「甍の波と雲の波、重なる波の中空に」ではじまる子供の歌を思いだす。いきなり「甍(いらか)」と子供には難しい言葉があって、大人になるまで「いらか」ではなく「いなか」だと思っていた人も少なくない。「我が身に似よや男子(おのこご)と、高く泳ぐや鯉のぼり」と、歌は終わる。封建制との関連云々は別にしても、なんというシーチョー(おお、懐しい流行語よ)な文句だろう。ほとんどの時間は、ダラーンとしているくせに……。ひるがえって、鯉幟の俳句を見てもシーチョーな光景がほとんどで、掲句のように静から動への期待を描いた作品は珍しいのだ。俳句の鯉幟は今日も、みんな強気に高く泳いでいる。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)




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