今週は、駅前や目抜き通りの喫茶店はバツ。選挙カーがうるさくて、話ができない。




1999ソスN4ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2041999

 ノートするは支那興亡史はるの雷

                           鈴木しづ子

雷(しゅんらい)。夏の雷と違って激しくはなく、一つか二つで鳴り止むことが多い。自然が少しでも轟くと、人間はちょっぴり疼くという独特の情感。「支那」とあるから、もちろん戦後の句ではない。「支那」と言い張ってきた現代の人である石原慎太郎は、都知事に当選した後で「もう言わない」と言ったようだが、私が子供だったころには「支那」という大人がほとんどだった。「支那」の呼称が正式に「中華民国」に変更されたのは、1930年10月29日のことだ。にもかかわらず、日本人はしつこく「支那」と言いつづけた。侮蔑の表現として、だ。恥ずかしい。句の「支那」は書物のタイトルだからどうしようもないけれど、中国の権力の興亡の歴史を夢中になって書きとめている作者の耳に、ふと遠くで鳴る雷の音が聞こえてきた。ノートしていたところが、ちょうど風雲急を告げるような場面だったのだろう。遠い歴史のストーリーに現在ただいまの自然の急変が混ざり合って、胸を突かれる思いになったというところか。コピー機の普及したいまでは、こうした情感も失われてしまった。ところで、作者は「幻の俳人」と言われて久しい。戦後間もなく矢継ぎ早に二冊の句集を出して俳壇の注目を集めたが、その後はぷっつりと沈黙してしまい、このほど立風書房から出た『女流俳句集成』にも「生死不明」とある。1919年(大正8年)生まれだから、ご存命である確率は高いのだが。『春雷』(1946)所収。(清水哲男)


April 1941999

 雨上る雲あたたかに蝌蚪の水

                           松村蒼石

蚪(かと)は「おたまじゃくし」のこと。この季節、水の入った田圃(たんぼ)などには、無数のおたまじゃくしが群れている。かがんで眺めていると、時の経つのも忘れてしまうくらいだ。雨上がりのやわらかい陽射しのなかで、作者はそうして、しばし眺め入ったのであろう。水底にはおたまじゃくしの黒い影がちろちろと動き回り、水面には白い雲の姿が映ってゆったりと流れている。いかにも春らしい至福のひとときである。昭和十二年(1937)の作。そういえば、私が子供だった頃には、何かというと道端でしゃがんだ記憶がある。おたまじゃくしやミズスマシやメダカなどの生き物を見る他にも、田圃に撒かれた石灰が泡を吹いている様子だとか、包丁を研いだり鋸(のこぎり)の目立てをやっている人の手付きなどを、しゃがみこんでは飽かず眺めていた。ひるがえって、いまの子供たちはしゃがまない。第一、しゃがんでまで見るようなものがない。コンビニの前などでしゃがんでいるのは高校生や大学生だが、彼らは別に何かを見ているというのではないだろう。『寒鴬抄』(1950)所収。(清水哲男)


April 1841999

 朝寝しておのれに甘えをりにけり

                           下村梅子

語は「朝寝」。「春眠」と共通する世界であり、したがって春の季語とされてきた。なんでもないような句だけれど、一読、鋭い描写力だと(本当に)膝を打った。「おのれに甘えをりにけり」とは、なんと正確な心持ちの復元であろうか。たしかに、とろとろと半睡状態にある朝寝では、「おのれ」を甘やかしているのではなくて、このように「おのれ」に甘えているというのが正しいと思う。普通の行為では、なかなかそんなことはできない。しばしば自分を甘やかすことはあるにしても、自分を頼りにして甘えるなんてことは、ほとんど不可能に近い。句の「朝寝」は半睡状態だから、自分自身を半分ほどは他者のように認識できるということだろうか。単に、ずるずると寝ているのではない。半分は覚醒している自分に、甘ったれて寝ているのだ。甘美な認識といおうか、誰にも自然に訪れる癒しのメカニズムといおうか……。とにかく、朝寝の正体は、多くこういうことであるだろう。それにしてもこの季節、一度目覚めてから、またとろとろと眠る時間は、どうしてあんなに心地よいのでしょう。やはり、自分に甘えていることから来ているのでしょう……か。『沙漠』(1982)所収。(清水哲男)




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