検事長を切った「噂の真相」。卑怯にも、誌名を明確にしないで報道する新聞がある。




1999ソスN4ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1441999

 目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ

                           稲垣きくの

そらく、焼かれている目刺(めざし)はぼうぼうと燃えているのだろう。が、なぜ作者が目刺を燃やすほどに焼いているのかは、知るよしもない。知るよしはないが、句の勢いだけはわかるような気がする。嫉妬することを俗に「やく」というけれど、この場合の目刺には気の毒ながら(というよりも、誰が食べるのだろう。食べさせられる人には大いに気の毒ながら)、作者は「こんちくしょう」とばかりに、目刺にアタッている。この「恋のねた刃」は、相当に曰くありげだ。誰にでも嫉妬心はあり、誰にもなかなか解消法は見つからない。昔から落語などで「嫉妬心(りんき)は、こんがり焼くものだ」と言ってきた。ほどほどに、ということだ。庶民の智恵だ。が、そんなことは承知しているつもりでも、いざとなったら、そうはいかないのがヒトの常だろう。で、かくのごとくに、盛んに大煙を上げることになる。この研がれた「ねた刃」は、いったい誰に向けられるのか。なんだか、他人事ながらハラハラしてくる。でも、逆に言えば、作品的にそう思わせているにすぎない作者のしたたかな芸なのかもしれず、作った後で舌をぺろっと出している顔を想像すると、実にシャクにさわる。いっそ単純に、現代の「滑稽句」ととったほうがよいのかもしれない。(清水哲男)


April 1341999

 白脛に春風新進女教師よ

                           藤本節子

者は、たぶん教師だろう。新学期になって、赴任してきた大学を出たばかりの女教師の白脛(しらはぎ)が、春風にまぶしく感じられる。若さを素直に羨む心と、ちょっぴり嫉ましい心と……。初日から、この先生は生徒たちの人気者だったろう。私が中学一年のときの野稲先生と三年のときの福田先生は、お二人とも、句のようにまぶしくも初々しい新進女教師だった。国語を担当された。思春期の入り口にあった我等悪童どもは大いに照れながらも、しかし、何とか困らせてやろうと、毎日手ぐすねを引いていたものだ。変な質問を連発して、先生が教壇で真っ赤になって立往生したら、我々の勝利であった。一度だけ、福田先生が突然教壇で泣きはじめたことがあり、これには悪ガキのほうも真っ青になった。いま考えると、これは私たちの屈折した愛情表現であったわけだが、授業を離れるとろくに口も聞けずに、遠くから(「白脛」を)盗み見ている始末で、からきし意気地がなかった。野稲先生は若くして亡くなられ、福田先生の消息は誰も知らない。先生と私たちとの年齢が十歳とは離れていなかったことに、いま気がついた。(清水哲男)


April 1241999

 父を呼ぶコーヒの時間春の宵

                           小山白楢

れた句というのではないが、時代の証言としては微笑ましい作品だ。この句は、新潮社が1951年に発刊した『俳諧歳時記』に載っており、となれば、この茶の間の光景は戦後すぐのものだろう。もとよりインスタント・コーヒーなどなかったころだから、とても貴重なコーヒーというわけで、一家で大事にして飲んでいた雰囲気も表現されている。飲む時間は、一家が揃ってくつろげる時、すなわち宵の刻であった。当時は、夜間にコーヒーを飲むと寝られなくなるということがしきりに言われていた記憶もあるが、そんなことは構わずに、作者一家は宵のコーヒーを楽しみに団欒していたようだ。古い日本映画でも見ているような、そんな懐しさに誘われる。もっとも、我が家にはコーヒーどころか、満足な茶もなかったけれど……。なお、表記の「コーヒ」は誤りではない。作者は、おそらく関西の人ではないだろうか。いまでも関西の店に入ると、「コーヒー」ではなくて「コーヒ」とメニューにある店がある。関西弁の文脈に「コーヒー」を入れて発音すると、たしかに「コーヒ」となるから、こう表記しなければ正確さに欠ける。この類の相違は他にもいろいろあって、関西育ちの家人は「お豆腐」のことを「おとふ」と発音し、メモ的にはしばしば表記もする。(清水哲男)




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