三年半担当した読売の「マルチ読書」が昨夜で終わった。葉桜に漆の闇の別れかな。




1999ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1341999

 白脛に春風新進女教師よ

                           藤本節子

者は、たぶん教師だろう。新学期になって、赴任してきた大学を出たばかりの女教師の白脛(しらはぎ)が、春風にまぶしく感じられる。若さを素直に羨む心と、ちょっぴり嫉ましい心と……。初日から、この先生は生徒たちの人気者だったろう。私が中学一年のときの野稲先生と三年のときの福田先生は、お二人とも、句のようにまぶしくも初々しい新進女教師だった。国語を担当された。思春期の入り口にあった我等悪童どもは大いに照れながらも、しかし、何とか困らせてやろうと、毎日手ぐすねを引いていたものだ。変な質問を連発して、先生が教壇で真っ赤になって立往生したら、我々の勝利であった。一度だけ、福田先生が突然教壇で泣きはじめたことがあり、これには悪ガキのほうも真っ青になった。いま考えると、これは私たちの屈折した愛情表現であったわけだが、授業を離れるとろくに口も聞けずに、遠くから(「白脛」を)盗み見ている始末で、からきし意気地がなかった。野稲先生は若くして亡くなられ、福田先生の消息は誰も知らない。先生と私たちとの年齢が十歳とは離れていなかったことに、いま気がついた。(清水哲男)


April 1241999

 父を呼ぶコーヒの時間春の宵

                           小山白楢

れた句というのではないが、時代の証言としては微笑ましい作品だ。この句は、新潮社が1951年に発刊した『俳諧歳時記』に載っており、となれば、この茶の間の光景は戦後すぐのものだろう。もとよりインスタント・コーヒーなどなかったころだから、とても貴重なコーヒーというわけで、一家で大事にして飲んでいた雰囲気も表現されている。飲む時間は、一家が揃ってくつろげる時、すなわち宵の刻であった。当時は、夜間にコーヒーを飲むと寝られなくなるということがしきりに言われていた記憶もあるが、そんなことは構わずに、作者一家は宵のコーヒーを楽しみに団欒していたようだ。古い日本映画でも見ているような、そんな懐しさに誘われる。もっとも、我が家にはコーヒーどころか、満足な茶もなかったけれど……。なお、表記の「コーヒ」は誤りではない。作者は、おそらく関西の人ではないだろうか。いまでも関西の店に入ると、「コーヒー」ではなくて「コーヒ」とメニューにある店がある。関西弁の文脈に「コーヒー」を入れて発音すると、たしかに「コーヒ」となるから、こう表記しなければ正確さに欠ける。この類の相違は他にもいろいろあって、関西育ちの家人は「お豆腐」のことを「おとふ」と発音し、メモ的にはしばしば表記もする。(清水哲男)


April 1141999

 日曜といふさみしさの紙風船

                           岡本 眸

曜日。のんびりできて、自分の時間がたくさんあって、なんとなく心楽しい日。一般的にはそうだろうが、だからこそ、時として「さみしさ」にとらわれてしまうことがある。家人が出払って、家中がしんと静まっていたりすると、故知れぬ寂寥感がわいてきたりする。そんなとき、作者は手元にあった紙風船をたわむれに打ち上げてみた。五色の風船はぽんと浮き上がり、二三度ついてはみたものの、さみしい気持ちの空白は埋まらない。華やかな色彩の風船だけに、余計に「さみしさ」が際だつような気がする……。作者はふと、この日曜日そのものが寂しい「紙風船」のようだと思った。ところで、「風船」とは実に美しいネーミングですね。風の船。名付けるときに「風」を採用することは誰にも思いつくところでしょうが、次に「船」を持ってきたのが凄い。凡庸な見立てでは、とても「船」のイメージとは結び付きません。いつの時代の、どんな詩人の発想なのでしょうか。そんなことを考えていたら、ひさしぶりに「紙風船」をついてみたくなりました。あまり大きい風船ではなく、少してのひらに余るくらいの大きさのものを。(清水哲男)




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