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April 0441999

 鴬の茶畠に鳴く四月かな

                           船 山

ことにもって呑気な句だ。楽しい句だ。ついでに言わせてもらえば、トルネード的に下手な句(笑)でもある。しかし、こんな句がひょいと出てくるから、俳句を読むのは止められない。茶摘み前の茶畠の近くで、鴬がきれいな声で鳴いている。歩いていても眠くなるような、そんな午後のひとときの光景だ。学生時代に、茶どころの宇治で下宿住まいをしたことがあるので、この雰囲気は日常のものだった。ただ、こんな句の良さなどは絶対に認めようとしない「俳句好き」にして、かつ生意気な政治青年であった。だから、いまさらのように、こういう句を面白いと思うようになった自分にびっくりしてもいる。この句は、電話機の横にメモを取るために置いてある「デスク・ダイアリー」の欄外に印刷されていた。昔は、どんな事務所にも置いてあったバインダー式の日めくりカレンダーである。今日が旧暦の何日であるとか、思わずも顔が赤くなるような格言であるとかが、とにかくごちゃごちゃと書いてあるのだけれど、あれらを毎日ちゃんと読む人はいるのだろうか。私は、たまにしか読まない。(清水哲男)


April 3042005

 妹の嫁ぎて四月永かりき

                           中村草田男

年度ということもあって、「四月」という月は活気もあるがあわただしくもある。一般的な認識として、四月は短いと感じるのが普通だろう。だがこれに個人的な事情が加わると、いつもの四月とは違って、掲句のように永く感じる人も出てくる。妹が嫁いだ。いつも側にいた人がいなくなった。めでたいことではあるけれど、予想していた以上の喪失感を覚えて、作者は少しく滅入ってしまったのだ。それに昔のことだから、これからはそう簡単に妹と会うことはできない。何かにつけて、ふっと妹を思い出し、淡い寂しさを感じる日々がつづいた。この句には、兄という立場ならではの寂寥感がある。というのも、妹の結婚準備の段階からして、両親ほどにはしてやることもない。手をこまねいているうちに、自分以外の者の手でどんどん段取りは進められ、ろくに妹と話す機会もないうちに挙式となり、気がつけば傍らから消えてしまった。そういう立場なので仕方がないとはいえ、妹の結婚に実質的には何も関与していない自分であるがゆえに、どこか取り残されたような気持ちにもなっている。永い四月だったなあと嘆息するのも、よくわかるような気がする。さて、今年の四月も今日でおしまいですね。読者諸兄姉にとっては、どうだったでしょうか。私には例年通り、やはり短く感じられた四月でありました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 2842014

 すぐ座ると叱られている四月尽

                           長嶋 有

られているのは、たとえば新入社員。与えられた仕事がすむと、すぐに席に戻って座ってしまう。叱る側からすれば、隙あらばさぼろうとしているように見えるから叱るわけだが、新入社員から言わせれば、他に何をしてよいかが分からないから自席で待機するのだということになる。しかし先輩にそう口答えするわけにはいかないので、黙っていると、「少しは気を利かせたらどうだ」とまた叱られる。この「座る」はむろん手抜きにつながる行為の象徴であって、新入社員の一挙手一投足が、とにかく先輩社員のイライラの種になる時期がある。そして、そんなふうに過ごしてきた四月もおしまいだ。昔はここから五月病になる若者も多かったが、最近はどうなんだろう。ああ、私にも覚えがあるが、本当にすまじきものは宮仕えだな。『春のお辞儀』(2014)所収。(清水哲男)




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