中国が審議中のガイドライン法案に警告。真剣に応接せよ。相手は戦争のプロだぞ。




1999N328句(前日までの二句を含む)

March 2831999

 鎌倉に清方住めり春の雨

                           久保田万太郎

方は、美人画で有名だった画家の鏑木清方(かぶらき・きよかた)のことだ。典型的な「文人俳句」と言ってよいだろう。こういう句が好きになるかどうかは、詠まれた画家の絵を知っていなければ話にならないし、知っていてもその絵が嫌いでは、またどうにもならない。清方の絵をこよなく愛した作者ならではの一句であり、わからない人にはわからなくてもよいという気構えのある作品だ。文人俳句と言った所以である。早い話が、仲間内ないしは清方ファンにさえ受ければよい句だということ。清方は生粋の江戸っ子であったが、戦後になってから鎌倉に移り住んだ。「芸術新潮」の四月号(1999)が清方を特集していて、なかなかに充実している。同誌によると、この句が作られたときの清方は鎌倉材木座の住人だったそうで、その後、同じ市内の雪ノ下に転居し、そこを終の住処とした。旧居跡(鎌倉市雪ノ下1-5-25)は現在、鏑木清方の名を冠した個人美術館になっている。写真で見ると、ひっそりと建つ平屋の美術館で、こちらも春の雨がしっくりと似合いそうなたたずまいだ。(清水哲男)

[鏑木清方展 回想の江戸・明治 郷愁のロマン]東京国立近代美術館にて、5月9日まで開催中。


March 2731999

 川ゆたか美女を落第せしめむか

                           平畑静塔

塔の年譜を見ると、大阪女子医大に勤務していたことがあるというから、そのときの句だろう。進級の及落判定をしなければならず、成績のよくない美人の女子学生のことで、はたと思案するということになった。言ってみれば自分のさじ加減ひとつで彼女の落第がきまるのだから、慎重にと思うのだが、客観的には落第点をつけざるをえない。教官室の窓から外を見やると、まんまんと水をたたえた春の川がゆったりと流れている。そんな自然の豊かな営みを眺めているうちに、及落判定などどうでもよいという感覚になってきたのだけれど、しかし、彼女をどうしたらよいのかという現実問題にも気持ちは立ち戻り、悩むところだなアと嘆息するばかりだ。春爛漫の季節だからこその、この悩み。第三者である読者には、一種の滑稽感もある。そしておそらく、この美女は落第させられたであろう。そんな気がする。でも、そのときの川が「ゆたか」であったように、その後の美女の人生も「ゆたか」であったろうと、一方では、そんな気もする。句に、まったくとげとげしさがないためである。『月下の俘虜』(1955)所収。(清水哲男)


March 2631999

 蝿生れ早や遁走の翅使ふ

                           秋元不死男

近はとんとお目にかからなくなったが、どこの家庭にも「蝿叩き」があったころの句。越冬した大人の蝿はもちろん、春に生まれる子供の蝿も、容赦なく打たれる。不衛生の権化ないしは象徴として、昔から蝿は打たれつづけてきた。あまりにも可哀相だと、一茶が例の有名な句を作ったほどだ。したがって、生まれたばかりの赤ちゃん蝿も、句のようにはやくも遁走の翅(はね)を使いはじめているという見立てである。作者の弁。「一茶にしろ、鬼城にしろ、どちらも貧乏で……好んで小動物を詠んだのは、何か貧乏とかかわりがあるのかも知れない。わけて一茶には蝿の句が多い。私も子供のころ貧乏な生活の中で育った。蝿の多い路地もあったろうし、従って家の中まで飛びまわる蝿もめずらしくなく、敵視する気持もそれほど強くなかった」。句は、生まれてすぐに人間から「敵視」される運命と定まった赤ちゃん蝿に、同情もし、哀れとも感じている。戦前の「俳句事件」で二年間の獄中生活を送った作者の心情が、子供時代の貧乏生活にプラスされて、いわれなき敵視を受けておびえる蝿の仕草に寄り添っている。『瘤』(1950)所収。(清水哲男)




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