地域振興券が出回って、新聞の折り込み広告がずしり。愚策がゴミまで増やしている。




1999ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1431999

 今宵しかない酒あはれ冴え返る

                           室生犀星

の季語「冴返る」は、暖かくなりはじめた時期に、また寒さが戻ってくる現象を言う。万象が冴え返る感じがする。句は、酒飲みに共通する「あはれ」だ。この酒を飲んでしまうと、家内にはもう一滴もなくなる。つい、買い置きをするのを忘れてしまった。まことに心細い気持ちで、飲みはじめる。急に冷え込んできた夜だけに、心細さもひとしお。その気持ちが「あはれ」なのである。手前勝手といえばそれまでだが、この無邪気な意地汚さから、酒飲みはついに離れられない。ちなみに、犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」だった。作者の晩酌の様子については、娘・朝子の文章がある。「犀星は家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。私達はそばの四角いちゃぶ台にそれぞれが座る。母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び、赤い袴には備前焼の徳利があった。犀星はあまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた。そして夕食にはご飯はいっさい食べなかった」(『父 犀星の俳景』1992)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそと飲みに出かけたものだという。(清水哲男)


March 1331999

 春の宵歯痛の歯ぐき押してみる

                           徳川夢声

の気分は経験者にはよくわかる。ずきずきする歯ぐきを、本当は触りたくないんだけど押してみる。押すことによって痛みを一段深く味わう、こんな倒錯した心理は、歯痛を経験したことのない者にはわからないだろうな、と半分は空威張りしているのだ。この素朴のようでいて下手でなく、平凡のようでいて非凡のような句の作者こそ誰あろう。戦前・戦後ラジオや映画で大活躍をした「お話の王様」徳川夢声。この句は、実は歯痛どころではない大変な時代の産物だった。時は昭和20年(1945年)3月13日、あの東京下町を焼き尽くした東京大空襲の3日後のこと。同じ頃の句に「一千機来襲の春となりにけり」「空襲の合間の日向ぼっこかな」とある。句日誌『雑記・雑俳二十五年』(オリオン書房)所収。(井川博年)


March 1231999

 春闘の闇ゆさぶりぬ装甲車

                           小宅容義

語は「春闘」。そろそろ、この季語にも注釈が必要になってきたかと思われる。「春季に行われる労働組合の要求闘争のこと」だ。ほとんどの会社が四月からの新年度に賃金引き上げなどを行うので、労使交渉は春三月がピークとなり、スケジュール的に長い間「春闘」として定着してきた。装甲車とはまた物騒だけれど、つい三十年ほど前までは、問題がこじれそうな会社やストライキ中の会社の周辺に警察の機動隊が出動するシーンは、べつに珍しいことでもなかった。「闇ゆさぶりぬ」そのままに、装甲車がひたひたとにじりよってくる雰囲気には、不気味なものがあった。気がつくと、装甲車の周辺には機動隊員の沈黙の渦があり、自称左翼少年であった私には、こういう句は若き日の闇を思い起こさせられてギクリとする。政治的に目覚めた高校生や大学生と会社の労働組合とが統一戦線を組むのは普通のことだったし、春闘の応援に左翼(とは限らなかったけれど)少年や少女が混ざっていても、誰も特別には何とも思わなかった。そんな時代の句だ。失礼ながら、作者のなかでは上手な句ではない。でも、この句全体が「季語」のように機能した時代の記念として掲げておく。『立木集』(1974)所収。(清水哲男)




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