校長自殺で広島校長協会長が「組合抵抗の犠牲」と国会証言。君は死者に優しくない。




1999ソスN3ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1131999

 雲雀とほし木の墓の泰司はひとり

                           阿部完市

解派の雄といわれる阿部完市の、これは比較的わかりやすい句だ。空高く朗らかに囀る雲雀(ひばり)の声を聞きながら、作者は粗末な木の墓で眠っている泰司のことを思っている。死者を尊ぶ常識からすると、泰司は雲雀とともに天にあらねばならないのだが、作者にはどうしてもそのようには思えず、泰司はやはり生きていた時と同じに地上の人でありつづけている。「泰司よ」と語りかけるような作者の優しさが胸にしみる。「泰司」が誰であるかは、作者以外には知りえない。まぎれもない固有名詞ではあるのだが、読者にはわからないのだ。しかしながら、この「泰司」は、三好達治の有名な雪の詩に出てくる「太郎」や「次郎」とは違う。同じ固有名詞でも、詩人の「太郎」や「次郎」は役所などの書類のサンプルに出てくるようなそれであり、たとえば「泰司」との入れ替えが可能な名前として使われている。ところが、俳人の「泰司」はそうではない。入れ替えは不可能なのだ。作者しか知らない人物ではあるが、この入れ替えの不可能性において、作者の限りない優しさを読者が感じられるという設計になっている。天には「雲雀」、地に「泰司」。春はいよいよ甘美でもあり、物悲しくもある。『無帽』(1956)所収。(清水哲男)


March 1031999

 深追いの恋はすまじき沈丁花

                           芳村うつぎ

丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。(清水哲男)


March 0931999

 土筆生ふ夢果たさざる男等に

                           矢島渚男

いぶんと作者も、つらいことを言うなア。生えてきた土筆は若い希望の象徴であり、土筆を発見して野にある男等はみな、既に若さとは遠く離れた中年である。右肩上がりの勢いと、その反対と……。構成の妙とはいえ、ある程度の年輪を重ねた読者のほとんどには、つらい句としか読めないだろう。むろん、私にも。卒業歌『仰げば尊し』の「身を立て名を上げ、やよ励めよ……」も実につらい文句だが、若さのなかで歌うから、この句よりも切実感はない。句集の成立年代から推定すると、作者は四十代だ。男等それぞれの夢が何かは知らないが、四十の坂を越えれば到達不可能な夢だとは知れる。そんなことは頭でわかっていても、なお夢を生きたい人が多いなかで、作者は「もう駄目なのだよ」と言い切っている。そこが、つらい。叙情句であるから、なおのこと心にしみる。ただし、この句には同時に別の効用もあって、それは否応なく読者に若き日の夢を想起させてくれる点だ。つらいだけではなく、懐しく過去の我が身を思い出すことには、多少の快感もある。かくいう私の十代早々の夢は、銀行員になることだった。そのことを作文に書いたら、若くて美人の野稲先生(山口県高俣中学国語担当教諭・故人)にぴしりと反対されてショックを受けた。この句のおかげで、鮮明に思い出したことの一つである。『木蘭』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます