三鷹芸術ギャラリーで、晩年は三鷹に住んだ柳瀬正夢の展覧会を開催中。28日まで。




1999N34句(前日までの二句を含む)

March 0431999

 山路来て何やらゆかしすみれ草

                           松尾芭蕉

書に「大津に出る道、山路をこえて」とある。教科書にも載っており、芭蕉句のなかでも有名な句に入るだろうが、さて、この句のどこがそんなに良いのか。味わい深いということになるのか。まことに失礼ながら、この句の眼目をきちんと生徒に説明できる国語の先生は、そんなにはおられないと思う。無理もない。なぜなら、芭蕉の時代の「すみれ草」に対する庶民的な感覚ないしは評価を、ご存じないだろうからである。当時の菫は、単なる野草の一種にすぎなかった。いまの「ペンペン草」みたいなものだった。贔屓目にみても「たんぽぽ」程度。たとえばそれが証拠に、江戸期の俳句に「小便の連まつ岨(そば)の菫かな」(松白)があったりして、小便の先にも当然菫は咲いていただろう。菫が珍重されはじめたのは明治期になってからのことで、それまではただの草だったということ。詩歌の「星菫派」といい、宝塚の「菫の花咲くころ」という歌といい、菫が特別視されだしたのは、つい最近のことなのだ。だから、この句は新鮮だったのである。つまらない「野の花」に、なにやら「ゆかしさ」を覚えた人がいるという驚き。句からは、これだけを読み取ればよいのだが……。(清水哲男)


March 0331999

 佐保姫に山童の白にぎりめし

                           大串 章

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。雛祭りに尾篭な話で恐縮だが、山崎宗鑑の編纂した『犬筑波集』のなかで、荒木田守武が立ち小便をさせてしまったことでも有名だ。すなわち「かすみのころもすそはぬれけり」に附けて「さほ姫の春たちながら尿をして」とやった。オツに気取った王朝女性たちへの痛烈な面当てだろう。それはともかく、句の姫はやさしくて上品な春の化身。その姫の加護を受けているかのような明るい陽射しのなかで、山の子が大きくて白い握り飯をほおばっている。すべて世は事もなし……の情景である。作者と同世代の私にはよくわかるのだが、この「白にぎりめし」には、世代特有のこだわりがある。戦中戦後の飢えの時代に子供だった私たちは、いまだに「白にぎりめし」を普通の食べ物として看過できないのだ。なにしろ絵本の「サルカニ合戦」の握り飯を見て、一生に一度でいいから、こんなに大きな握り飯(カニの身体以上の大きさだった)を食べてみたいと思ったのだから、飢えも極まっていた。そうした作者幼時の思いの揺影が、句の隠し味である。山童(さんどう)は、ここでほとんど作者自身と重なっている。(清水哲男)


March 0231999

 胸ぐらに母受けとむる春一番

                           岸田稚魚

りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。俳句は一気の文学である。一気だから、このような情況を詠むのに適している。たわむれに母親を背負ってみた啄木の短歌では、こうはいかなかった。「たわむれ」が既に一気ではないし、まして三歩も歩けなかったという叙述においておや……だ。ここで啄木の説得的叙述に賛同する読者は啄木ファンになるのだし、説得されない人は「ふん」と思うだけである。でも、稚魚のこの句を読んで「ふん」と思うわけにはいかない。一気の「気合い」だけがあって、何も読者に説得してはいないからだ。つまり、説得していない分だけ、読者には我が身に引きつけて観賞できる自由が与えられる。連句から発句を独立させた近代俳句の意義は、こういうところにもひょいと立ち現われる。「春一番」は、立春から春分までの間で、最初に吹く強い南風のこと。気象庁では、風速8メートル以上の南方からの風と規定している。期間限定だから、春一番が吹かない年もあるわけだ。俳句歳時記のなかには、つづけて「春二番」「春三番」「春四番」くらいまでを季語としているものもある。『筍流し』(1972)所収。(清水哲男)




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