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1999ソスN2ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2721999

 妻留守に集金多し茎立てる

                           杉本 寛

は「くき」の古形で「くく」と読む。茎立(くくだち)は、春になって大根や蕪などが茎をのばすことで、この茎が「とうが立つ」と言うときの「とう」である。こうなったら、大根だと「す」が入って不味くなるので食べるわけにはいかない(人間だと、どうなるかは関知しない……)。農家では、種を取るために、わざと茎立のままに放置しておく。自註がある。「たまの休日。一人で留守居をしていると何故か客が多い。客といっても、集金・勧誘の類。折角読書をと思っても興がのらず、庭を眺めるだけ」。昭和57年(1982)の作品だ。当時はまだ、そんなに諸料金の銀行引き落としシステムが普及していなかったので、休日の亭主族はこんなメに会うことが多かった。庭の植物の茎立さながらに、われと我が身も「妻」に放置されたような苦い笑いが込められている。私にも、もちろん覚えがある。しつこい新聞の勧誘に粘り強くつきあって、ついに撃退(失礼っ)に成功したと思ったら、勧誘のお兄さんの捨てぜりふがイマイマしかった。「そうですねえ。ご主人に『アサヒ・シンブン』は難しすぎるかもしれませんねえ」だと。よくも言いやがったな。読書に戻るどころではない。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)


February 2621999

 もの忘れするたび仰ぐ春の山

                           黛 執

かにもおおどかで、優しい感受性のある黛執(まゆずみ・しゅう)の世界。俳句もよくした映画監督の五所平之助に手ほどきを受け、すすめられて「春燈」の安住敦に師事したというキャリアを知れば、大いに納得のいく句境である。もの忘れをするたびに、なんとなく春の山を仰いでしまう。作者は湯河原(神奈川県)の在だから、湯河原の山だろう。ただこれだけのことなのであるが、記憶という人為的かつコシャクな営みを、芒洋たる春の山に照らしているところに、なんとも言えない人柄の良さを感じる。映画俳優でいえば、たとえば笠智衆のような人が詠んだら似合いそうな句だと、私には写る。諸作品中の傑作とは言い難いけれど、このように作者の人柄を味わうことができるのも、俳句を読む楽しさの一つだ。話は変わるが、私の「もの忘れ」は三十代後半くらいからはじまった。映画批評なども書いていたので、それまでには絶対に忘れるはずもない俳優の名前が出てこなくなったりしだして、愕然とした。その俳優の仕草や顔もはっきり浮かぶのに、どうしても名前が思い出せない。振り仰ぐ山もなかったので、目がテンになるばかり。容赦なく、迫り來る締切。ついには川本三郎君につまらない電話をしたりして……というようなこともあったっけ。いずれ「もの忘れ論」を書きたいので後は省略するが、言えることは、そんなときに、まずは作者のように泰然としていることが肝要だということである。『春野』所収。(清水哲男)


February 2521999

 雨はじく傘過ぎゆけり草餅屋

                           桂 信子

餅屋だから、そんなに大きな店ではない。店の土間と表の通りとが、そのまま地つづきになっているような小さな店を想像した。観光地に、よく見られる店だ。外は春雨。作者が店内で草餅を選んでいると、傘に雨粒を弾かせながら、草餅など見向きもせずに通り過ぎて行った人がいたというのである。雨を弾く傘ということは、コウモリ傘などではなくて、油紙を張った昔ながらの唐傘だろう。それもこの句の場合には、油紙の匂いがプンと鼻をつくような新しい唐傘が望ましい。草餅に春を感じ、通り過ぎて行った人の傘の音にも春を感じと、この句は春の賛歌に仕上がっている。外光的には暗いのだけれど、だからこそ、かえって春の気分が充実して感じられる。草餅は、大昔には春の七草の御行(母子草)を用いたとも聞くが、現在では茹でた蓬(よもぎ)を搗き込んで餅にする。子供のころに住んでいた田舎は蓬だらけだったから、草餅の材料には不自由しなかった。よく食べたものだが、草餅のために摘んだ程度で息絶えるようなヤワな植物ではない。こいつが大きくなると強力な根が張ってきて、引っこ抜こうにも簡単には抜けなくなる。農家の敵だった。草餅を見かけると、つい、そんなことも思い出される。『草樹』所収。(清水哲男)




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