金子兜太さんから新著『俳句専念』(ちくま新書)。ついていけないほどに、お元気。




1999ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1721999

 冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす

                           松尾芭蕉

状しておけば、冬に咲く牡丹(ぼたん)を見たことがない(東京では上野で見られるようだが……)。仕方なく図鑑の写真で見ると、雪のなかで藁(わら)のコモをかぶり、鮮やかな赤い花をつけている。冬牡丹(寒牡丹)は、庭などに植えられる普通の牡丹の「二季咲き性の変種」で、美しく咲かせるためには春と晩夏の摘蕾が必要だという。つまり、かなり無理をさせて冬場に咲かせてきた花である。温室栽培など考えられなかった芭蕉の時代の「冬牡丹」は、したがってまことに珍重すべき花だったろう。その美しさを表現するのに、芭蕉も最大級の美しい言葉を使って応えている。情景としては、冬の牡丹に見惚れていると、どこからか千鳥の声が聞こえてきたという場面。これだけでも十分に句になるところだが、四十一歳の芭蕉はあまりの花の美しさに、もうひとつ大きく振りかぶった。「これはまるで、雪中で鳴くほととぎすみたいではないか」と。ほととぎすが厳冬に鳴くわけもないが、本来の牡丹の季節に鳴くほととぎすが、今、この寒さのなかで鳴いているような美しさだと述べたのである。もちろん「鳴いて血を吐くほととぎす」の「赤」も意識している。あざとい表現かもしれないが、私は好感を持つ。だから、冬牡丹を見たこともないのに、ここに書きつけておきたいと思った。句の前書に「桑名本當寺(ほんとうじ)にて」とある。(清水哲男)


February 1621999

 道ばたに旧正月の人立てる

                           中村草田男

陽暦の採用で、明治五年(1872)の12月3日が明治六年の元日となった。このときから陰暦の正月は「旧正月」となったわけだが、当時の人々は長年親しんできた陰暦正月を祝う風習を、簡単に止める気にはなれなかったろう。季節感がよほど違うので、梅も咲かない新正月などはピンとこなかったはずである。私が八歳から移り住んだ山口県の田舎では、戦後しばらくまでは「旧正月」を祝う家もあった。大人たちが集まって酒を飲んでいたような記憶があるし、「隣りより旧正月の餅くれぬ」(石橋秀野)ということもあった。祝うのは、たいていが旧家といわれる大きな家だった。作者は、そんな家の人が晴れ着を着て「道ばた」にたたずんでいる光景を目撃している。そして、今が旧正月であることを思い出したのだ。「旧正月」という季語は、非常に新しい季語でありながら、歳月とともにどんどん色褪せていったはかない季語でもある。句の「旧正月の人」とは、だから私には「旧正月」という季語を体現しているような、どこか「はかない人」のように思われてならない。(清水哲男)


February 1521999

 雪降るとラジオが告げている酒場

                           清水哲男

に一度の自句自解。といって、解説するに足るような句ではない。読んだまま、そのまんま。なあんだ、で終わりです。新宿駅のごく近く(徒歩3分ほど)に「柚子」という酒場がある。「天麩羅」と難しい漢字で書いてある看板を見ると、物凄く高そうな店だ。正常な神経の持ち主ならば、ヤバイと敬遠するロケーションにある。が、ある夜とつぜんに、無謀にも辻征夫が(酔った勢いで)踏み込んで、めちゃくちゃに安いことを発見してきた。以来、この店は私たちの新宿での巣となった(みんな、安いなかでも高い売り物の天麩羅は食べずに、もっぱら鰯の丸干しを食べている)。その店で思いついた句だ。めちゃくちゃに安い店だけに、有線放送などという洒落れたメディアとは縁がない。開店中は、ずっとラジオをかけている。要するに、トランジスター・ラジオが出回りはじめたころの酒場と同じ雰囲気なのだ。飲んでいるうちにラジオなぞ耳に入らなくなるが、はたと音楽が止んでニュースや天気予報の時間になると、半分は職業病から、私の耳はそちらに引き寄せられる。で、句のような場面となり、別になんというわけでもないのだけれど、不意に昔の山陰の雪景色が明日にでも見られそうな気分になったという次第。『今はじめる人のための俳句歳時記・冬』(角川ミニ文庫・1997)所載(と、実は当ページの読者の方から教えていただいたのですが、本人は呑気にも未確認です)。(清水哲男)




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