近所の病院の煙突からの煙で咽喉や目が痛くなる被害。で、被害者はこの病院に行く?




1999ソスN2ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1621999

 道ばたに旧正月の人立てる

                           中村草田男

陽暦の採用で、明治五年(1872)の12月3日が明治六年の元日となった。このときから陰暦の正月は「旧正月」となったわけだが、当時の人々は長年親しんできた陰暦正月を祝う風習を、簡単に止める気にはなれなかったろう。季節感がよほど違うので、梅も咲かない新正月などはピンとこなかったはずである。私が八歳から移り住んだ山口県の田舎では、戦後しばらくまでは「旧正月」を祝う家もあった。大人たちが集まって酒を飲んでいたような記憶があるし、「隣りより旧正月の餅くれぬ」(石橋秀野)ということもあった。祝うのは、たいていが旧家といわれる大きな家だった。作者は、そんな家の人が晴れ着を着て「道ばた」にたたずんでいる光景を目撃している。そして、今が旧正月であることを思い出したのだ。「旧正月」という季語は、非常に新しい季語でありながら、歳月とともにどんどん色褪せていったはかない季語でもある。句の「旧正月の人」とは、だから私には「旧正月」という季語を体現しているような、どこか「はかない人」のように思われてならない。(清水哲男)


February 1521999

 雪降るとラジオが告げている酒場

                           清水哲男

に一度の自句自解。といって、解説するに足るような句ではない。読んだまま、そのまんま。なあんだ、で終わりです。新宿駅のごく近く(徒歩3分ほど)に「柚子」という酒場がある。「天麩羅」と難しい漢字で書いてある看板を見ると、物凄く高そうな店だ。正常な神経の持ち主ならば、ヤバイと敬遠するロケーションにある。が、ある夜とつぜんに、無謀にも辻征夫が(酔った勢いで)踏み込んで、めちゃくちゃに安いことを発見してきた。以来、この店は私たちの新宿での巣となった(みんな、安いなかでも高い売り物の天麩羅は食べずに、もっぱら鰯の丸干しを食べている)。その店で思いついた句だ。めちゃくちゃに安い店だけに、有線放送などという洒落れたメディアとは縁がない。開店中は、ずっとラジオをかけている。要するに、トランジスター・ラジオが出回りはじめたころの酒場と同じ雰囲気なのだ。飲んでいるうちにラジオなぞ耳に入らなくなるが、はたと音楽が止んでニュースや天気予報の時間になると、半分は職業病から、私の耳はそちらに引き寄せられる。で、句のような場面となり、別になんというわけでもないのだけれど、不意に昔の山陰の雪景色が明日にでも見られそうな気分になったという次第。『今はじめる人のための俳句歳時記・冬』(角川ミニ文庫・1997)所載(と、実は当ページの読者の方から教えていただいたのですが、本人は呑気にも未確認です)。(清水哲男)


February 1421999

 辞すべしや即ち軒の梅を見る

                           深見けん二

家を訪問して辞去するタイミングには、けっこう難しいものがある。歓待されている場合は、なおさらだ。「そろそろ……」と腰を上げかけると、「もう少し、いいじゃないですか」と引き止められて、また座り直したりする。きっかけをつかみかねて、結局は長居することになる。酒飲みの場合には、とくに多いケースだ。自戒(笑)。句のシチュエーションはわからないが、作者は上手なきっかけを見つけかけている。「辞すべしや」と迷いながら、ひょいと庭を見ると、軒のあたりで梅がちらほらと咲きはじめていたのだ。辞去するためには、ここで「ほお」とでも言いながら、縁側に立っていけばよいのである。そしてそのまま、座らずに辞去の礼を述べる……。たぶん、作者はそうしただろう。こうした微妙な心理の綾をとどめるのには、やはり俳句が最適だ。というよりも、俳句を常に意識している心でなければ、このような「キマラないシーン」をとどめる気持ちになるはずもないのである。いわゆる「俳味」のある表現のサンプルのような句だと思う。『父子唱和』(1956)所収。(清水哲男)




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