豪雪ですね。お見舞い申し上げます。東京は昨日ちらりと風花。カラカラ天気継続中。




1999ソスN2ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0421999

 雨の中に立春大吉の光あり

                           高浜虚子

暦では一年三百六十日を二十四気七十二候に分け、それを暦法上の重要な規準とした。立春は二十四気の一つ。暦の上では、今日から春となる。しかし、降る雨はまだ冷たく、昨日に変わらぬ今日の寒さだ。禅寺では、この日の早朝に「立春大吉」の札を入り口に貼るので、作者はそれを見ているのだろう。寒くはあるが、真白い札の「立春大吉」の文字には、やはりどこかに春の光りが感じられるようだ。あらためて、新しい季節の到来を思うのである。実際に見てはいないとしても、今日が立春と思うだけで、心は春の光りを感受しようとする。立春は農事暦のスタート日でもあり、「八十八夜」も「二百十日」も今日を起点として数える。それから、陰暦での今日はまだ十二月十八日と、師走の最中だ。閏(うるう)月のある(今年は五月が「五月」と「閏五月」の二度あった)年の立春は、必ず年内となるわけで、これを「年内立春」と呼んだ。正月のことを「新春」「初春」と「春」をつけて呼ぶ風習は、このように立春を意識したことによる。ちなみに、今度の陰暦元日は、再来週の陽暦二月十六日だ。立春を過ぎての正月だから、文字通りの「新春」であり「初春」である。以上、誰もが昔の教室で習った(はずの)知識のおさらいでしたっ(笑)。(清水哲男)


February 0321999

 硝子負ひ寒波の天を映しゆく

                           田川飛旅子

を読んですぐに思い出したのは、田中冬二の「青い夜道」という初期の詩だ。少年が町で修繕した大きな時計を風呂敷包みにして背負い、田舎の青い星空の夜道を帰ってくる。ここからすぐに冬二の幻想となり、その時計が「ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ……」と、少年の背中で鳴るのである。「少年は生きものを 背負つてゐるやうにさびしい」と、詩人はつづけている。一方で掲句は幻想を書いているのではなくて、見たままをスケッチしているのだが、双方には共通したポエジーの根があると感じられる。つまり、人間が背中に大きくて重いものを背負うということ。前かがみとなって、一心に道を歩くということ。その姿を「さびしい」と共感する感性が、日常的に存在したということ。車社会ではなかった時代の人間の当たり前の物の運び方には、つらかろうとか、可哀相だとか、そういう次元を越えた「忍耐の美」としか形容できない感じがあった。その忍耐のなかにあるからこそ、時計が鳴りだすのであり、硝子(ガラス)が寒波の天を映して壮麗な寒さを告げているのだ。背負うというと、簡単なザックだけという現代では、なかなか理解されにくくなってきた感覚だろう。大きな荷物のほとんどは、みな人が背負うものであった。ついこの間までの「現実」である。(清水哲男)


February 0221999

 わが天使なりやをののく寒雀

                           西東三鬼

山修司の短歌に、「わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る」がある。明らかに、この句の引き伸ばしだ。きつく言えば、剽窃である。若かった寺山さんは、この他にもいくつもこういうことを企てては顰蹙をかいもしたが、どちらが私の心に残っているかというと、これまた明らかに寺山さんの歌のほうなのである。なぜなのだろうか。一つの解答を、同じ俳壇内部から上田五千石が、著書の『俳句塾』(邑書林・1992)で吐き捨てるように書いている。「三鬼句の『叙べる』弱さが流用されたのだ」と……。私は二十代の頃から三鬼が好きで、角川文庫版の句集を愛読した。絶版になってからは、同じく三鬼ファンだった若き日の車谷長吉君との間を、何度この一冊の文庫本が往復したかわからないほどだ。でも、年令を重ねるにつれて、三鬼のアマさが目につくようになってきた。あれほど読んだ文庫も、いまではなかなか開く気になれないでいる。五千石の言うことは、まことに正しいと思う。他方、読者が年令を重ねるということは、こういうことに否応なく立ち合わされるということなのでもあって、この気持ちにはひどく切ないものがある。読者の天使もまた「をののく」寒雀……なのか。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます