季語が春近しの句

February 0121999

 叱られて目をつぶる猫春隣

                           久保田万太郎

月。四日は立春。そして、歳時記の分類からすれば今日から春である。北国ではまだ厳寒の季節がつづくけれど、地方によっては「二月早や熔岩に蠅とぶ麓かな」(秋元不死男)と暖かい日も訪れる。まさに「春隣(はるとなり)」だ。作者は、叱られてとぼけている猫の様子に「こいつめっ」と苦笑しているが、苦笑の源には春が近いという喜びがある。ぎすぎすした感情が、隣の春に溶け出しているのだ。晩秋の「冬隣」だと、こうは丸くおさまらないだろう。「春隣」とは、いつごろ誰が言いだした言葉なのか。「春待つ」などとは違って、客観的な物言いになっており、それだけに懐の深い表現だと思う。新しい歳時記では、この「春隣」を主項目から外したものも散見される。当サイトがベースにしている角川版歳時記でも、新版からは外されて「春近し」の副項目に降格された。とんでもない暴挙だ。外す側の論拠としては、現代人の「隣」感覚の希薄さが考えられなくもないが、だからこそ、なおのこと、このゆかしき季語は防衛されなければならないのである。(清水哲男)


January 3012002

 米磨げばタンゴのリズム春まぢか

                           三木正美

歳時記では「春近し」に分類。いかにも軽い句だけれど、あまり仏頂面して春を待つ人もいないだろうから、これで良い。四分の二拍子か、八分の四拍子か。気がつくと「タンゴのリズム」で「米を磨(と)」いでいた。たぶん、鼻歌まじりにである。なるほど、タンゴの歯切れの良い調子は、シャッシャッと米を磨ぐ感じに似あいそうだ。想像するに、作者は直接手を水につけて磨いではいないようである。何か泡立て器のような器具を使っていて、それがおのずからシャッシャッとリズムを取らせたのだろう。手で磨ぐ場合には、そう簡単にシャッシャッとはまいらない。そんなことをしたら、米が周囲に飛び散ってしまう。子供時代の「米炊き専門家」としては、そのように読めてしまった。ちなみに作者は二十代だが、私の世代がタンゴを知ったのは、ラジオから流れてきた早川真平と「オルケスタ・ティピカ・東京」の演奏からだ。アルゼンチン・タンゴを、正当に継承した演奏スタイルだったという。でも、歌謡曲全盛期の私の耳には、とても奇異な音楽に思えたことを覚えている。いつだったか辻征夫に「『ラ・クンパルシータ』って、どういう意味なの」と聞かれても、答えられなかったっけ。ま、私のタンゴはそんな程度です。「俳壇」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


February 0222003

 白き巨船きたれり春も遠からず

                           大野林火

語は「春」。……と、うっかり書きそうになった。試験問題に出したら、間違う生徒がかなりいそうだな。正解は「春も遠からず(春近し・春隣)」で、冬である。林火は横浜に生まれ育った人だから、こうした情景には親しかった。大きくて白い、たぶん外国船籍の客船が、ゆったりと入港してくる。その「白き巨船」が、まるで春の使者のようだと言っている。むろん、船と季節との直接的な因果関係は何もないのだけれど、このように詠まれてみると、なるほど「春も遠からず」と思えてくるから面白い。私は山育ちだから、船が入港してくる様子などは、ほとんど知らない。知らなくても、しかし掲句には説得される。何の違和感も覚えない。何故なのだろうか。たぶん、それは「白き巨船」の「白」という色彩のためだろうと思う。これが、たとえば「赤」だったり「黄」だったり、その他の色だったりすると、なかなか素直にはうなずけそうもない気がする。多くの色のなかで、白色が最も光りを感じさせる。すなわち「巨船」はこのときに、大きな光りのかたまりなのである。そしてまた、来る春も光りのかたまりなのだから、ここで両者の因果関係が成立するというわけだ。ま、この句を、こんなふうなへ理屈を言い立てて観賞するのはヤボというものだろう。が、読後、私のなかで起きた「光りのかたまり」の美しいイメージのハレーション効果を忘れないために、ここに置いておこうと思ったのでした。『海門』(1939)所収。(清水哲男)


January 3012006

 ひと口を残すおかはり春隣

                           麻里伊

語は「春隣(はるとなり)」で冬、「春近し」に分類。これも季語の「春待つ」に比べ、客観的な表現である。「おかはり」のときに「ひと口を残す」作法は、食事に招いてくれた主人への気配りに発しているそうだ。招いた側は、客の茶碗が空っぽになる前におかわりをうながすのが礼儀だから、その気遣いを軽減するために客のほうが気をきかし、「ひと口」残した茶碗でおかわりを頼むというわけである。残すのは「縁が切れないように」願う気持ちからだという説もある。いずれにしても掲句は、招いた主人の側からの発想だろう。この作法を心得た客の気配りの暖かさに、実際にも春はそこまで来ているのだが、心理的にもごく自然に春近しと思えたのである。食事の作法をモチーフにした句は、珍しいといえば珍しい。私がこの「おかはり」の仕方を知ったのは、たぶん大学生になってからのことだったと思う。だとすれば京都で覚えたことになるのだが、いつどこで誰に教えられたのかは思い出せない。我が家には、そうした作法というか風習はなかった。おかわりの前には、逆に一粒も残さず食べるのが普通だった。だから、この作法を習って実践しはじめたころには、なんとなく抵抗があった。どうしても食べ散らかしたままの汚い茶碗を差し出す気分がして、恥ずかしいような心持ちが先に立ったからだった。このとき同時に、ご飯のおかわりは三杯まで、汁物のおかわりは厳禁とも習った。が、こちらのほうのマナーは一度も気にすることなく今日まで過ごしてきた。若い頃でも、ご飯のおかわりは精々が一杯。性来の少食のゆえである。「俳句αあるふぁ」(2006年2-3月号)所載。(清水哲男)


January 2712007

 切り株はまだ新しく春隣

                           加藤あけみ

本列島概ね暖冬という今年である。寒いのは嫌いだがそうなると勝手なもので、大寒の日、木枯に背中を丸めて、こうでなくちゃとつぶやく。十数センチの積雪で電車は遅れ、慣れない雪掻きで筋肉痛になるとわかっていても、一度くらいは積もってほしいと、これまた勝手なことを思ううち、一月も終わろうとしている。春隣、春待つ(待春)、ともに冬の終わりの季題だが、心情が色濃い後者に比べ、春隣には、まだまだ寒い中に思いがけなく春が近いと感じる時の小さい感動がある。冬晴れの日、木立に吹く風はまだ冷たい。一面の落ち葉、その枯れ色の風景の中、白く光るものが目にとまる。近づくとそれは切り株で、ふれると、まだ乾ききっていない断面には、生きている木の感触が残っている。切り株の、とすれば、その断面がはね返している日差が春を感じさせる。しかし、切り株は、と詠むことで、今は枯れ色のその森の木々すべてに漲っている生命力を感じさせるとともに、切られてしまった一本の木に対する作者の眼差しも見えるようだ。ほかに〈中庭は立方体や秋日濃し〉〈クレッシェンドデクレッシェンド若葉風〉〈石投げてみたくなるほど水澄めり〉などさらりと詠まれていながら、印象深い。『細青(さいせい)』(2000)所収。(今井肖子)


February 0222008

 春近し時計の下に眠るかな

                           細見綾子

日は節分、そして春が立つ。立つ、とは、忽然と現れる、という意味合いらしいが、季節の変わり目に、たしかにぴったりとした表現だなと、あらためて思う。ここしばらく寒い日が続いた東京でも、日差の匂いに、小さいけれど確かな芽吹きに、春が近いことを感じてほっとすることが間々あった。春待つ、春隣、春近し、は、冬の終わりの言葉だけれど、早春の春めくよりも、強く春を感じさせる。この句の作者は夜中に目覚めて、冷えた闇の中にしばらく沈んでいたのだろう。すると、柱時計が鳴る、一つか二つ。少し湿った春近い闇へ、時計の音の響きもゆるやかにとけてゆく。そしてその余韻に誘われるように、また眠りに落ちていったのだろう。先日、とある古い洋館を訪ねたが、そこには暖炉や揺り椅子、オルガンといった、今はあまり見かけなくなったものが、ひっそりと置かれていた。そのオルガンの、黒光りした蓋の木目にふれた時、ふとその蓋の中に春が隠れているような気がした。そっと開けてみようか、でもまだ開けてはいけないのかもしれない。その日の、きんとした冬晴の空を思い出しながら、時計の下に眠っているのは春なのかもしれない、などと思ったのだった。『図説俳句大歳時記』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


February 0322009

 かごめかごめだんだん春の近くなる

                           横井 遥

だまだ寒さ本番とはいえ、どこかで春の大きなかたまりがうずくまっているのではないか、と予感させる日和もある。夏も冬もどっと駆け足で迫りくる感じがあるが、春だけは目をつぶっている間にゆっくりゆっくり移動している感触がある。掲句はそのあたりも含んで、「かごめかごめ」という遊びがとてもよく表しているように思う。輪のなかの鬼が目を覆う手を外したとき、またぐるぐる回っている子どもたちが立ち止まったとき、春はさっきよりずっと近くにその身を寄せているような気がする。「後ろの正面」という不可思議な言葉と、かならず近寄りつつある春のしかしその掴みきれない実態とが、具合よく手をつないでいる。明日は立春。「後ろの正面だぁれ」と振り返れば、不意打ちをされた春の笑顔が見られるのではないだろうか。〈あたたかや歩幅で計る舟の丈〉〈大騒ぎして毒茸といふことに〉『男坐り』(2008)所収。(土肥あき子)


January 3012010

 一筋の髪が手に落ち春隣

                           山西雅子

のところの東京は、突然Tシャツ一枚で歩けるような陽気かと思えば翌日はダウンジャケットを着込む有様で、次々咲く近所の梅に、明日はまた真冬の寒さだからその辺で止めておかないと、と思わず話しかけたくなるほど。春待つ、のひたすらな心情に比べて、春隣、には、ふと感じて微笑んでしまうほのぼの感がある。そう考えるとこの句の髪は、作者自身の髪ではないのかもしれない。たとえば子供の髪をとかしてやっていて、やわらかく細い髪が手のひらの上で光っているのを見た時、そんな「ふと」の一瞬が作者に訪れたのではないだろうか。そういえば重なっているイ音にも、口元がついにっこりしてしまうのだった。〈マフラーを二巻きす顎上げさせて〉〈冬木に根あり考へてばかりでは〉『沙鴎』(2009)所収。(今井肖子)


October 09102010

 校庭のカリン泥棒にげてゆく

                           久留島梓

きくて香りの高いカリン(榠と木偏に虎頭に且)だけれど、生の実は固く渋い。薬にもなるというが、食べようと思えば、果実酒にしたり砂糖漬けにしたりと手間がかかる。そんなカリンの実、たわわに実ったうちのいくつかをもいで持っていったところでさして咎められることもなかろうに、泥棒という言葉が与えるスタコラサッサ感が、カリンのやたらにいびつな形と共にユーモラスだ。待て〜と追いかけることもなく、その後ろ姿を作者と共に見送りながら、思いきり伸びをして青空に向かって両腕を突き出したくなる。「教師生活三年目をなんとか終え」とある作者の二十句をしめくくっている一句は〈テストなど忘れてしまえ春近し〉上智句会句集「すはゑ(漢字で木偏に若)」(2010年第8号)所載。(今井肖子)


November 13112012

 牡蠣割女こどもによばれゐたりけり

                           嶺 治雄

蠣割、牡蠣打ちとは牡蠣殻から牡蠣の身を取り出す作業である。牡蠣割女(かきわりめ)は郵便夫などとともに、男女を誇張した呼び名を避ける昨今の風潮には適さないと切り捨てようとされている言葉のひとつだ。しかし、牡蠣割には男が海に出て得た糧を、女が手仕事で支えていた時代のノスタルジーとエネルギーがあり、捨てがたい情緒が漂う。寒風、波の音、黙々と小刀を使って牡蠣を剥く。現在の清潔な作業場においても、俳人はそこになにかを見ようとし、目を凝らし耳を澄まし、江戸時代の其角や支考の句などを去来させつつ、次第に現代から浮遊していく。そして、子どもの声によって、唐突にこの人にも電化製品に囲まれたごく普通の生活があったのだと気づくのだ。牡蠣割女が振り向くとき、そこには時代を超えてただただ優しい母の顔があるのだろう。〈鳥雲に人はどこかですれちがふ〉〈夏痩せの腕より時計外しけり〉〈犬小屋に眠れる猫や春近し〉『恩寵』(2012)所収。(土肥あき子)


January 2212013

 雪景色女を岸と思ひをり

                           小川軽舟

に縁遠い地に生まれたせいか、降り積もった雪の表情が不思議でならない。川にぽつんぽつんと雪玉が置かれているように見えたものが石のひとつひとつに積もった雪であることや、くっきりと雪原に記された鳥の足跡が飛び立ったときふつりと途絶えているのさえ、神秘に思えていつまでも見飽きない。女を岸と思うという掲句は、ともすると「男は船、女は港」のような常套句に惑わされるが、上五の雪景色がひたすら具象へと引き寄せている。村上春樹が太った女を「まるで夜のあいだに大量の無音の雪が降ったみたいに」と描写したように、川へとうっとりと身を寄せるように積もる純白の雪の岸には、景色そのものに女性美が備わっている。一面の雪景色のなかで、なにもかもまろやかな曲線に囲まれた岸と、そこに滔々と流れる冷たい水。雪景色のなかの岸こそ、女という生きものそのものであるように思えてくる。〈木偶は足浮いて歩めり燭寒く〉〈河馬見んと乗る木の根つこ春近し〉『呼鈴』(2012)所収。(土肥あき子)




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