米政府が2000年問題で国民に警告。口座のパンクよりも医療機器の誤動作が不気味。




1999N131句(前日までの二句を含む)

January 3111999

 畑あり家ありここら冬の空

                           波多野爽波

ういう句を読むと、俳句の上手下手とは何かと考えさせられてしまう。たぶん、この冬空は曇っていると思われるが、見知った土地の畑のなかに民家が点在している様子を、作者はあらためて見回しているのである。曇り空と判断する根拠は、空が抜けるように青かったとすれば、作者は地上の平凡な光景をあらためて確認するはずがないと、まあ、こんなところにある。このとき、作者は弱冠二十六歳。「ホトトギス」最年少の同人に輝いた年だ。しかし、この句から二十代の若さを嗅ぎ取る読者はいないだろう。どう考えても、中年以降の人の句と読んでしまうはずだ。「ホトトギス」の親分であった高浜虚子は、なかなか隅に置けない(喰えない)ジャーナリストで、新同人の選別にあたっても、このように常識的な意味での若さのない若い人、あるいは他ジャンルでの有名な人(一例は、小説家の吉屋信子)などを突然同人に推挙して、話題作りを忘れなかった。しかも、草田男であろうが秋桜子であろうが、寄せられた句はどんどん勝手に添削して、自分の色に染め上げちゃったのだから、カリスマ性も十分。なお、このような主宰による添削はいまだに俳句の世界では普通に行われていて、詩人にそのことを言うと、たいてい目を丸くする。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)


January 3011999

 寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ

                           森 澄雄

中の鯉はじっとしていてほとんど動かず、食べず、この季節には成長がとまるらしい。私は泥臭くて好まないけれど、食べるのなら、真冬のいまどきがいちばん美味いのだそうである。同様に、厳冬の寒鮒も美味いといわれる。したがって、上掲のような句も生まれてくるわけだが、自註に曰く。「ある日ある時、飲食にかかわる人間のかなしき所業を捨てて、自ら胸中、一仙人と化して、無数の鯉を飼ってそれと遊ぶ白雲去来の仙境を夢見たのだ」(『森澄雄読本』)。俳人も人間だから(当たり前だッ)、ときに浮世離れをしたくなったということだろう。写生だの描写だの、はたまた直覚だの観照だのという浮世俳諧の呪縛から身をふりほどいて、むしろひとりぼんやりと夢を見たくなった気持ちがよく出ている。しょせん漢詩にはかなわぬ世界の描出だとは思うが、たまには不思議な俳句もよいものである。とりあえず、ホッとさせられる。(清水哲男)


January 2911999

 洋蘭の真向きを嫌うかぜごこち

                           澁谷 道

者は内科医。病人一般の心理には通暁している。しかし、この場合の「かぜごこち」は作者本人のそれだろう。風邪気味の身には、洋蘭の重厚な華やかさが、むしろ鬱陶しいのだ。だから、自分の真正面に花が相対することを嫌って、ちょっと横向きに鉢をずらして据え直した。そんなところだろうが、この気分はよくわかる。発熱したときには、元気なものや華やかなもののすべてがうとましい。どんなに好きなテレビ番組でも、見たくなくなる。風邪の症状は一時的だから、直ればそんなこともケロリと忘れてしまうのだけれど、長患いの人の憂鬱はどんなに深いものだろうか。ましてや老齢ともなると、鬱陶しさは限りない感じだろう。鉢植えの花にせよ、テレビ番組にせよ、なべてこの世の文化的産物は、病人向けに準備されたものではない。享受する人間が元気であることが、前提とされ仮定された世界だ。考えてみれば、これは空恐ろしいことである。最近でこそ、病人や高齢者など「社会的弱者の救済」が叫ばれるようになってはきたが、この言葉や行為そのものに含まれる「元気」もまた、本質的には鬱陶しさの種になりやすいのではあるまいか。『紫薇』(1986)所収。(清水哲男)




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