季語が炭の句

January 2811999

 斯かる人ありきと炭火育てつつ

                           星野立子

後六年目(1951)の作句。立子、四十七歳。まだ、炭火で暖を取るのが当たり前だった頃の句だ。毎日の火鉢の炭火にしてもけっこう育てるのは難しく、それなりに一家言のある人がいたりして、いま思い出すとそれこそけっこう面白い作業ではあった。したがってこの句の「斯(か)かる人」とは、いま眼前に育ちつつある炭火のようなイメージの人というのではなくて、炭火の育て方の巧みだった人のことを言っている。それも育て方を直接教わったというのではなく、その巧みさに見惚れているうちに、いつしか彼の流儀が身についてしまったようだ。で、いつものように炭火を扱っていたら、ひょいとその人のことを思い出したというわけだ。手がその人を覚えていた。遠い昔のその人も、やはりこうやって炭を扱っていたっけ。そして、もっと見事な手さばきだった……。と、作者は炭火の扱い以外には何の関心も抱かなかったその人のことを、いまさらのように懐しく思い出すのである。こういうことは、私にも時々起きる。教室の火鉢にちっちゃな唐辛子を遠くから正確に投げ込んで、みなを涙にくれさせた某君の名コントロールを、こともあろうに突然プロ野球実況を見ながら思い出したりするのである。『實生』(1957)所収。(清水哲男)


December 18121999

 吾子逝けり消壷の炭灰を被て

                           柴田左田男

縁(ぎゃくえん)は痛ましい。子供に死なれた親の句の前では、ただ黙祷するしかない。なかでも、この句は子供の命と身体を、柔らかくもはかない消炭になぞらえていることで、忘れられない絶唱である。なぞらえる物ならば、他にいくらでもあるというのに、作者はあえて身近で地味な消炭を選んだのだ。それが、たとえば鶴や天馬に擬するよりも、短い間にもせよ、この家でともに暮らした思いをとどめるためであり、最良の供養だということである。作者の心中を察するにあまりあるが、この強じんなポエジーには作者の悲しみを越えて、人間存在に対する深い悲しみが感じられる。おのずから、涙がこぼれてきそうな名句だ。うろ覚えで恐縮だが、やはり子供に先だたれた親が刻したイギリスの墓碑銘に、こんなのがあった。「ちょっと部屋に入ってきて、キョロキョロ見回して、退屈だからさっさと出ていった」。明るいタッチだけに、余計に涙を誘われる名碑文だ。この冬も、インフルエンザ流行の兆し。悲しい親が、一人も生まれないですむことを切に祈ります。(清水哲男)


December 17122000

 炭の塵きらきら上がる炭を挽く

                           川崎展宏

く晴れた日。のこぎりで炭を挽いている。「塵(ちり)」が「きらきら」と舞い上がっている。挽く音までが聞こえてくるようだし、炭の匂いも漂ってくるようだ。言いえて妙。ただ一般論になるが、この光景を美しいと思うかどうかは、読者の立場によるだろう。夏場に氷を配達する人が、道端で氷を挽いているのと同じこと。通りかかった人には、とても涼しげな情景に写るのだけれど、挽いている当人にしてみれば、それどころではない。とてもじゃないが「やってらんねえ」のである。他意はないけれど、労働の現場を詠んだ句には、傍観者の立場からのそれが多い。それはそれでよいとして、詠まれる側からすると、もう少し何とかならないのかなと歯がゆい思いが残ることもある。いつもながらの思い出話になるが、昔の我が家でも炭を焼いていた。自給自足ゆえの、やむを得ぬ所業だった。子供でも、炭を挽いて炭俵につめることくらいはできる。「塵」を浴びながら挽いていると、身体中がこそばゆくなり、もちろん手や顔などは真っ黒になってしまう。べつに苦しい仕事ではないのだが、炭の粉を吸いすぎた胸は、妙に息苦しい感じになった。そんな体験のある子供や大人が、この句を読む。もちろん、感想はまちまちだろう。その「まちまち」のなかで、一点共通するのは、作者が炭を挽く現場の人ではないなという「直感」だ。それはそれで作者には関わり知らぬことながら、働く現場を詠むのが難しいのは、確かなことである。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


November 27112001

 なが性の炭うつくしくならべつぐ

                           長谷川素逝

事をするにつけても、人の「性(さが)」は表われる。手際の良し悪し、上手か下手かも表われる。「炭」をつぐ行為などは、その最たるものの一つだった。でも、機器にスイッチを入れるだけの現代の暮らしの中にだって、その気になって観察すれば「性」の表われは認められる。ただ昔の生活では「炭」つぎのように、本来の目的に至るまでのプロセスが露(あらわ)にならざるを得なかったときには、そこに美学の発生しやすい環境があった。「なが」は「汝が」であり、女性を指している。妻だろう。連れ添ってこのかた、いつも冬になると、炭を「うつくしくならべつぐ」妻に感心している。しかし、どうかすると、あまりにも「うつくしくならべ」すぎるのではないのかと、彼女の神経質なところが気にもなっている。むしろ無造作を好む私には、そんな作者の微妙な心の揺れ、複雑なニュアンスが感じられる。讃めているだけではないような気がする。だからことさらに「性」と言い、きちょうめんな妻の性質や気質を強調しているのではあるまいか。私は、乱雑に炭がつがれていく状態のほうが好きだ。見た目にも暖かさが感じられるし、実際にもそのほうが炭と炭との間に空気が入り込むからよく熾(おこ)るので、暖かい理屈だ。もっとも、家計を考えれば熾りすぎるので不経済きわまりない。寒くなりはじめると、途端に炭の値段が上がった。そこで、良妻としては「うつくしくならべつぐ」ことにより、節約をしているのかもしれない。ま、これはあながち冗談とも言えない話なのだが、掲句の女性の場合には、そこまで考えての行為ではないと素直に受け取っておこう。そうでないと、せっかくの句が壊れてしまう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 18122001

 炭俵的にぞ立つてゐようと思ふ

                           小川双々子

語は「炭俵(すみだわら)」で冬。当歳時記では「炭」の項に分類。最近はさっぱり見かけないけれど、あるところにはあるのだろうか。米俵とは違って、カヤなどで編んだ目の粗い俵である。もちろん、名のごとく炭を保管しておくための入れ物だ。炭がいっぱいにつまっている俵は、がっしりと直立している。が、中の炭が減ってくると、当たり前のことながら、だんだんへなへなと崩れそうに傾いてくる。だからときどき、重心を戻してやるために、持ち上げてゆさぶってやる必要がある。作者は、そんな不安定な「炭俵的にぞ」立っていたいと述べている。すなわち「俺が、私が」と自我を丸出しに直立して生きるのではなく、中身が少なくなれば重心がそれなりに変化していき、いまにも倒れそうになり、誰もゆさぶってくれなければ倒れかねない生き方をしたいと言うのである。阿弥陀仏の「他力本願」に似た心境だろうが、作者が敬虔なキリスト者であることを思えば、さまざまな宗教の求めるところは、ついにこのあたりに集約されるのかと考えさせられた。そんな大真面目な物言いはべつにして、傾いた「炭俵」の姿には、なかなか愛嬌がある。この句にもまた、大真面目の重心がどこか妙にずれているような不思議な愛嬌が感じられる。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


January 0812008

 人といふかたちに炭をつぎにけり

                           島 雅子

生時代に通っていた茶道の「炭手前」をおぼろげに覚えている。釜の湯を湧かすために熾す炭の姿にまで、美しい手順があるのに驚いたことや、「ギッチョ、ワリギッチョ」と、なにやら呪文めいた言葉とともに何種類かの炭を交互についだことなど、ひとつ思い出せば不思議なほど次々と所作がよみがえる。あの謎の言葉は一体なんだったのだろう。「炭の増田屋オンラインショップ」によると「丸毬打(まるぎっちょ)、割毬打(わりぎっちょ)。道具炭。割毬打は丸毬打を半分に割ったもの」と、あっさり判明した。音で覚えていたものに、文字で出会うと唐突によそよそしくなってしまうものだ。しかし、掲句で使われる「人」という文字は、なんともあたたかい。それは、手元につぐ炭の一本にもう一本を寄り添わせて置いてみたところ「まるで人という字」という発見が、まさに文字そのもののなりたちや、その心根にもつながる喜びと温みを伴いながら読み手に無理なく伝わるからだろう。芯にちらつく火種が、ほの明るく灯る魂のように見え、それを眺める作者の頬をやわらかく照らしている。上手に火が熾ることだけを祈りながら炭に向かい合っていた頃を思い出し、「ギッチョワリギッチョ」ともう一度つぶやいてみる。〈蛇打たれもつとも人に見られけり〉〈和紙に置く丹波の栗と栗の翳〉『土笛』(2007)所収。(土肥あき子)


November 08112009

 更くる夜や炭もて炭をくだく音

                           大島蓼太

太(りょうた)は江戸中期の俳人です。今では、この句のように炭を手にすることはめったにありませんが、江戸期にもどらずとも、わたしが子供の頃にはまだまだ暖房の主役でした。炭団(たどん)の丸さをてのひらに感じたり、練炭の蓮根のような形状を見つめていたり、もう日常では目にしなくなっただけに、懐かしさがつのります。この句の炭は、棒状の木炭のようです。昨今は暖房だけではなく、浄化作用やら脱臭作用やらで、さまざまな用途にも使われていますが、やはりもとは、人をあたためるためにあったもの。使い道はあくまでもわかりやすく、わたしたちの生活にはなくてはならないものでした。また、この句を読んでいてはっと思ったのが、「炭もて炭をくだく」のところ。なるほどそのものを道具にしてそのものを割る、ということがあるのだなと、妙に感心してしまいます。炭と炭があたったときの甲高い音。どうってことのないことなのに、なぜかひどくひきつけられます。自身をくだき、くだかれる音から、しばらくは心がはなれられません。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


January 1112011

 遠吠えが遠吠えを呼ぶ霜夜かな

                           松川洋酔

ょうど本日1が重なるワンワンワンの日に合わせて犬の句を。遠吠えとは、犬や狼が身に危険を察知したときにする情報伝達のための呼び声である。町で飼われている犬たちが、パトカーや救急車のサイレンに反応するという現象は、サイレンの高低が遠吠えに似ているためといわれ、大きな車が危険を知らせながら猛スピードで通り抜ける姿に、縄張りを荒らされていると勘違いしたペットが威嚇のリレーをする。群れから遠ざかり、人間との生活が長い犬が、遠吠えという犬同士でしか理解できない声を手放さない事実に切なさを感じるのは、過去の歴史のなかで野生の獣として走り回っていた姿があったことを強く思い出させるからだろう。霜が降りる夜は気温が低く、よく晴れ、風のない日だという。張りつめたような霜の夜、犬が持つ高性能の鼻や耳は、なにを嗅ぎ分け聞き分けているのだろう。イギリスの作家サキの傑作「セルノグラツ城の狼」では、ある家柄の者が死に近づくと森の狼が一斉に遠吠えをする。これが実に誇り高く美しいものだった。掲句に触発され、読み返している。〈明らかに戻りしあとや蜷の道〉〈炭足してひととき暗くなりにけり〉『家路』(2010)所収。(土肥あき子)


October 29102012

 若き母の炭挽く音に目覚めをり

                           黒田杏子

載誌では、この句の前に「炭焼いて炭継いで歌詠みし母」が置かれている。だから掲句の炭は、母が焼いたものだ。私が子どもの頃に暮した田舎でも、農繁期を過ぎると、山の中のあちこちの炭窯から煙が上がっていたものである。焼いた炭は、使いやすいように適当にのこぎりで切っておく必要がある。たいして力もいらないから、たいていは女子どもの仕事だった。深夜だろうか。ふと目覚めると、母の炭を切る音が聞こえてきた。このときの子どもの気持ちは、お母さんも大変だなとかご苦労さんというのではなく、そうしたいわば日常化した生活の音が聞こえることで、どこかでほっと安堵しているのだ。とにかく、昔の女性はよく働いた。電化生活など想像すべくもなかった時代には、コマネズミのように働き、そしていつもそれに伴う生活の音を立てていた。たまに母親が寝込んでしまうと、家内の生活の音が途絶えるから、子どもとしてはなんといえぬ落ち着かぬ気分になったものだ。母を追慕するときに、彼女の立てていた生活の音を媒介にすることで、句には大いなる説得力が備わった。「俳句界」(2012年11月号)所載。(清水哲男)




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