日脚が伸びてきた。仕事帰りには好きな春の夕暮の気配も。春隣というゆかしい季語。




1999ソスN1ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2711999

 ハンバーガーショップもなくて雪の町

                           内山邦子

間時彦『食べもの俳句館』(角川選書)で見つけた句。図書館で借りた本だが、返すのがもったいないくらいに面白い。選句の妙を見せつけられる思いがするからである。掲句の句意は平易なので、解説は不要だろう。ただ、草間氏も書いているように「私はそんなことを全然、気が付かなかったが、ハンバーガーショップの在る、無しが、町の格を決めるものになるのだろうか」。ここが、私も気になった。ちなみに、作者が住むのは新潟県中頚城(なかくびき)郡大潟町。直江津から北東へ十数キロの日本海に面した町だという。私の体験からすると、かつて住んだ町や村に不満だったのは、たとえば書店がないということであった。「町の格」までは意識しなかったけれど、都会との差を測るバロメーターとしては食べ物屋よりも、書店や映画館などの食べられない物を扱う店の存在だったような気がする。大潟町に書店があるかどうかは知らないが、本屋なんかはなくても現代の都会との差を明瞭に意識させられるのは、ハンバーガーショップなのだと作者は言っている。いまや都市化を測る物差しは、「知的」ファッションよりもファッション的な「食物」に移行してしまったということなのだろうか。(清水哲男)


January 2611999

 離鴛鴦流れてゆきぬ鴛鴦の間

                           矢島渚男

鴦(おしどり)は留鳥だから、山間の湖や公園の池などで一年中見ることができるが、俳句では冬の鳥としている。周囲の枯れ色に比して、雄の色彩が鮮やかで目立つことからだろう。習性としては、常に「つがい」で行動する。まさに「おしどり夫婦」なのである。ところが、作者は、いかなる事情によるものか、離鴛鴦(はなれをし)となった一羽の鳥を見つけた。見ていると、その鴛鴦は水面をすうっと滑るようにして、他のつがいの間を流れていったというのである。情景としては、それだけのことにすぎない。が、雌雄どちらかが単体になると、残されたほうが焦がれ死にするとまで言われている鳥だから、作者は大いに気にして詠んでいる。そしてこの離鴛鴦に感情移入をしていないところが、逆に句の情感を深く印象づけている。私がたまに出かける井の頭公園の池には鴛鴦が多数生息していたが、この冬はめっきり数が減ってしまった。日本野鳥の会の人に聞いてみたら、環境の変化のせいだと教えてくれた。鴛鴦が好む雑木や雑草の影が、伐採によってなくなってしまったからだという。そんなわけで、いまどきの井の頭公園池はどこか侘びしい。『梟』(1990)所収。(清水哲男)


January 2511999

 寒の坂女に越され力抜け

                           岸田稚魚

体が弱っているのに、寒さのなかを外出しなければならぬ用事があり、きつい坂道を登っていく。あえぎつつという感じで歩いていると、後ろから来た女に、いとも簡単についと抜かれてしまった。途端に、全身の力が抜けてしまったというシーン。老人の句ならばユーモラスとも取れようが、このときの稚魚はまだ三十歳だった。かつての肺結核が再発した年であり、若いだけに体力の衰えは精神的にも悔しかったろう。それを「女に越され」と、端的に表現したのだ。以後に書かれたおびただしい闘病の句は、悲哀の心に満ちている。「春の暮おのれ見棄つるはまづわれか」。裏を返せば、このようなときにまず恃むのはおのれ自身でしかないということであり、この覚悟で稚魚は七十歳まで生きた。没年は1988年。私なりの見聞に従えば、男は総じて短気な感じで死んでしまう。あきらめが早いといえばそれまでだが、なにかポキリと折れるような具合だ。寝たきりになるのも、男のほうが早い。這ってでも、自分のことは自分でやるという根性に欠けている。心せねばなりませぬな、ご同輩。『雁渡し』(1951)所収。(清水哲男)




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