バスの運転手が咳こみながら「チクショーッ」と言っていた。流感の季節、ご自愛を。




1999ソスN1ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2311999

 茶碗酒どてらの膝にこぼれけり

                           巌谷小波

てら(褞袍)を関西では丹前(たんぜん)と言うが、よく旅館などに備えてある冬場のくつろぎ着である。いかにも「どてーっ」としているから「どてら」。……と、これは冗談だが、巌谷小波(いわや・さざなみ)の活躍した明治時代から戦後しばらくにかけては、冬季、たいていの男が寝巻の上などに家庭で着ていた防寒着だ。そんな褞袍の上に、作者はくつろいで一杯やっていた茶碗酒をこぼしてしまった。句の眼目は「こぼれけり」にある。迂闊(うかつ)にも「こぼしけり」というのではなくて、「こぼれけり」という自堕落を許容しているような表現に、作者の悲哀感がにじみでている。小波は、有名な小説家にして児童文学者。ただし、有名ではあったけれど、明治の文学者の社会的地位はよほど低かった。戦後しばらくまでの漫画家のそれを想起していただければ、だいたい同じ感じだろう。今でこそ子供が小説家や漫画家を目指すというだけで周囲も歓迎するが、明治より昭和の半ばまでは、とんでもないことだと指弾されたものだ。詩人についてはもっと厳しかったし、今でも厳しい(苦笑)。だから作者は「どうせ俺なんか」と「こぼれた」酒を拭おうともせずに、すねて眺めているのである。『ささら波』所収。(清水哲男)


January 2211999

 冬の水一枝の影も欺かず

                           中村草田男

草田男の筆跡
草田男の筆跡
田男の代表句。「一枝」は「いっし」と読ませる。池か河か、澄み切った水面が、張りだした枯れ木の枝々を、「一枝」も洩らすことなく克明に映し出している。寒いとも冷たいとも書かれてはいないが、読む者には厳寒の空気がぴりりと伝わってくる。写生に徹することにより至り得た名句。国語の答案であれば、ここまで書いておけばまずは合格点だろうけれど、友人の松本哉が「欺かず」についてさらに考察を加えたことがある。彼が発見したのは、冬の水の位置と作者の視点との関係である。作者は水に映る枯れ枝と本物の枯れ枝とを、いわば横から眺めている。ところが、本物の枯れ枝のほうは確かに横から見ているのだが、水に映ったそれは横から見ていることにはならない。なぜなら、水面は作者が仰向けになって下から枯れ枝を見る視点を提供しているからだ。すなわちここで、作者は複数の視点から一つの景色を眺めていることになるわけだ。この複数の視点があってはじめて、横から見ただけでは判然としない細かい枝々の様子を見ることができる。「欺かず」とは、そうした普通では見えない姿を教えてくれる意味なのだと、松本君はとらえた。なるほど、さすがに物理の徒ならではの鑑賞ぶりだ。脱帽。まいった。『長子』(1937)所収。(清水哲男)


January 2111999

 声にせば覚えてをりぬ手鞠唄

                           大橋淑子

葉の運びが窮屈で、そこがとても惜しまれる句であるが、人の記憶のありかたについて貴重なことを言っている。作者の弁。「友達と童謡を歌っていた時のこと。てまりが殿様のおかごの屋根に揺られ紀州のみかんになった手鞠唄、全部覚えていたのです。子ども時代の歌、なつかしいです」。遠い子供の日々に、毬つき遊びをしながら覚えた歌だ。童謡『まりととのさま』は結構長いので、まさか全部を覚えているはずもないだろうと、とりあえず友達と声に出して歌ってみたら、あら不思議、二人ともすらりと全部歌えてしまったというのである。びっくりだ。嬉しかった。人の記憶にはあやふやなものが多いけれど、このように身体の動きと一緒に記憶したことだけは、なかなか抜けないようだ。歌だけを覚えているのではなくて、身振り手振りすべてが記憶のなかで連鎖しているからだ。つまり、記憶を呼び起こすキーがたくさんあるわけだ。だから、声に出すことがきっかけとなって、苦もなく歌えたのである。手鞠のように全身を使わなくとも、たとえば教室で音読させられた詩などが、ときに意味もなく口をついて出てきたりするのも、同種の記憶構造に仕込まれた引き金によるものだろう。俳誌「未来図」(1999年1月号)所載。(清水哲男)

[上記の解釈について京都大学の田中茂樹氏(認知神経心理学)より以下のご教示をいただきました] 記憶には「宣言的記憶」と「非宣言的記憶」という大きくわけて2種類のものがある、と言われております。宣言的記憶とは、覚えている俳句であるとか、昨日体験した出来事であるとか、簡単に言えば「口で説明できる記憶」です。非宣言的記憶とは、車の運転やスポーツなど、「口では説明できなくても動作で手順として覚えている事柄」であります。手続き記憶とよばれる記憶もこれに属します。歌や道順などは手続き記憶です。一時に全部は思い浮かべられないが動作の連続として再生はできます。なお脳にとっては言葉も動作もカテゴリーとしては同じ「運動」です。これらの記憶は蓄えられている場所も取り出し方も違います。 宣言的な記憶は海馬と呼ばれる部位が中心になって蓄えられており、本人が積極的に検索して取り出してきます。一方、手続き記憶などは様々な大脳皮質や小脳に分散して蓄えられており、ひとつの動作や想起から芋蔓式に取り出されてきます。学習も取り出しもたいていの場合は自動的です。海馬が損傷された患者さんでも歌は歌えることが多いのはこのためです。この俳句に即して言えば、とても思い出せないだろう、と作者が考えたのは宣言的記憶として頭の中に言語的に再生しようとしてもできないだろうという直感でそれは正しいといえます。実際に歌ってみた場合は、動作の連関として蓄えられていた手続き記憶=歌詞が出てきたものと思われます。 ...このように身体の動きと一緒に記憶したことだけは、なかなか抜けないようだ....と書いておられますが、言語そのものも運動=身体の動きです。私たちがMRIという装置研究した結果では発語しなくても字を見るだけで、大脳の運動言語中枢(言葉を話す中枢)は活動します。また道具の絵を見るだけで、それを使うのに関係する筋肉に指令を出す部分は活動します。むしろそのような仮想的な、脳の中での運動そのものが、物体を認知する、ということそのものであろう、とごく最近の大脳研究では考えられ始めています。まとまりが悪くなりましたが、体を使ったから記憶できた、というのは一部正しい意見だと思います。が、より正確には、歌詞は手続き記憶である。手続き記憶は(運転でカーブするとき のように)口で簡単には説明できない。しかしやってみると(歌の場合は歌ってみると)簡単である。運動の連続として体験などの記憶とは別の場所に蓄えられているからである。ただ自分自身でも手続き記憶の全貌を意識レベルで正確に捉えることは不 可能である(あいまいには可能である)。よって、この句の作者は、全部歌えないか なー、と考えたが歌ってみるとできた、さらに自分で驚いた、のであろう。というかんじでしょうか。




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