詩人の伊藤聚さんが亡くなった。63歳。年賀状をいただいていたし、信じられない。




1999ソスN1ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0711999

 人日の夜の服寝敷く教師たり

                           淵脇 護

ずは、お勉強(笑)。人日(じんじつ)とは一月七日のことを言うが、なぜなのか。いまどきの句にも、よく出てくる。わからないときには、辞書を引く。でも、小さい辞書だと「一月七日のこと」としか書いてない。そこで、重たくてイヤだけど、大きな辞書を引いてみる。だが、広辞苑でも大辞林でも、満足のいく解答は得られない。そこで、「人日」は現代語としては死語に近い言葉だと知る。これもまた、お勉強の内だ。もはや「俳句ギョーカイ」の用語だなと見当をつけて歳時記をめくると、どんな歳時記にも、はたせるかな、ちゃんと定義が書いてある。詳しい説明は省くが、すなわち「中国漢代に六日までは獣畜を占い、七日に人を占ったことからの名」なのだそうである。中国の占いでは、正月七日にして、はじめて人間を注視したということだ。最初の「人の日」だった。したがって、明日八日からの新学期にそなえて、教師が服の寝敷きをするという句に、ことさらに「人日」が使われているのもうなずける。学園という人の社会に出ていくためのマナーとしては、まず身なりを整える必要がある。教師であることを忘れて過ごせた正月七日までは、同時に社会人を忘れた期間でもあった。「寝敷き(寝押し)」は慎重を要する。「寝敷き」の夜には、すでに「人の社会」がじわりと関わってきている。(清水哲男)


January 0611999

 小説を立てならべたる上に羽子

                           高野素十

月休みが終わって、孫たちも引き上げてしまった。小さい子はにぎやかだから、いればいたでやかましいと思うときもあるが、いなくなると火の消えたような淋しさが残る。いまごろはどうしているかなと、時々思ったりする。そんなある日、本でも読もうかと書棚を探していたら、並べてある小説本(めったに読まない本だから、きれいに整列したままなのだ)の上に、ひっそりと置かれた羽子を見つけた。孫の忘れ物だ。このとき、作者はそっとその羽子を手に取って一瞬微笑を浮かべただろう。ただそれだけのことではあるが、句からは作者の慈眼がしみじみと伝わってくる。詩歌集の類ではなく、小説本の上にあったところにも味わいがある。小説本には、さまざまな人々のさまざまな人生や生活が具体的に描かれているからで、句は言外に、そのとき孫の行く末までをもちらりと想像した作者の心の動きを伝えているようだ。とまれ、作者には、いつもの静かな生活が戻ってきた。また会える日まで、とりあえずこの羽子は、書棚の隙間に元どおりそのままに置いておくことにしよう……。『雪片』(1952)所載。(清水哲男)


January 0511999

 初詣一度もせずに老いにけり

                           山田みづえ

語にもなっているが、女礼者(おんなれいじゃ)という言い方がある。単に礼者といえば、年頭の挨拶を述べにくる客のことだ。が、わざわざ「女礼者」と呼んだのは、とくに昔の主婦の三が日はそれこそ礼者の応対に追われて挨拶まわりどころではないので、四日以降にはじめて外出し、祝詞を述べに行くところからであった。したがって、元日の初詣に、まず行ける主婦は少なかった。おそらく作者のように、一度も初詣に行かないままに過ごしてきた年輩の女性は、いまだに多いのではなかろうか。句の姿からは、べつにそのことを恨みに思っていたりするようなこともなく、気がついたらそういうことだったという淡々たる心境が伝わってくる。そこが良い。かくいう私は男でありながら、一度だけ明治神宮なる繁華な神社に行ったことがあるだけで、後にも先にも、その一度きり。人混みにこりたせいもあるけれど、あのイベント的大騒ぎは好きになれない。淑気も何もあったものではない。もとより私の立場と作者とは大違いだが、そんなところに作者が行けないでいて、むしろよかったのではないか。この句に接してふと思ったのは、そういうことであった。「俳句」(1999年1月号)所載。(清水哲男)




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