季語が羽子つきの句

January 0411999

 東山静かに羽子の舞ひ落ちぬ

                           高浜虚子

都東山。空は抜けるように青く、ために逆光で山の峰々はくろぐろとしている。そんな空間のなかに高くつかれた五色の羽子(はね)が、きらきらと日を受けて舞い落ちてくる。それも、静かにしずかにと落ちてくる。息をのむような美しいショットだ。羽子つきをしているのは、書かれてはいないけれど、子供ではなくて若い女性でなければならない。地上に女性たちのはなやいだ構図があってはじめて、作者は目を細めながら空を見上げたのだから……。いかな京都でも、今ではもうこんな情景はめったに見られないだろう。古きよき時代に、京都をこよなく愛した虚子の、これはふと漏らした吐息のような京都讃歌であった。読むたびに「昔の光、いまいずこ」の感慨に襲われる。そういえば、ひさしく京都にもご無沙汰だ。新しい京都駅も見ていない。学生時代、いっしよに下宿していた友人の年賀状に「下宿のおばさんが老齢で入院中」とあった。おばさんは、長唄のお師匠さんだった。当時(1960年頃)の私たちは、階下の三味線を耳にしながら、颯爽と「現代詩」などを書いていたのである。三味線の伴奏つきで詩を書いた人は、そんなにいないだろう。(清水哲男)


January 0611999

 小説を立てならべたる上に羽子

                           高野素十

月休みが終わって、孫たちも引き上げてしまった。小さい子はにぎやかだから、いればいたでやかましいと思うときもあるが、いなくなると火の消えたような淋しさが残る。いまごろはどうしているかなと、時々思ったりする。そんなある日、本でも読もうかと書棚を探していたら、並べてある小説本(めったに読まない本だから、きれいに整列したままなのだ)の上に、ひっそりと置かれた羽子を見つけた。孫の忘れ物だ。このとき、作者はそっとその羽子を手に取って一瞬微笑を浮かべただろう。ただそれだけのことではあるが、句からは作者の慈眼がしみじみと伝わってくる。詩歌集の類ではなく、小説本の上にあったところにも味わいがある。小説本には、さまざまな人々のさまざまな人生や生活が具体的に描かれているからで、句は言外に、そのとき孫の行く末までをもちらりと想像した作者の心の動きを伝えているようだ。とまれ、作者には、いつもの静かな生活が戻ってきた。また会える日まで、とりあえずこの羽子は、書棚の隙間に元どおりそのままに置いておくことにしよう……。『雪片』(1952)所載。(清水哲男)


January 0512002

 やり羽子や油のやうな京言葉

                           高浜虚子

語は「やり羽子(遣羽子・やりばね)」で新年。「追羽子(おいばね)」「掲羽子(あげばね)」とも言い、羽子つきのこと。男の子の凧揚げは公園や河川敷などでまだ健在だが、女の子が羽子をつく光景はなかなか見られなくなった。娘たちが小さかったころに、ぺなぺなの羽子板を買ってきて一緒についたことも、もはや遠い思い出だ。掲句は昔から気にはなっているのだが、いまひとつよく理解できないでいる。むろん「油のやうな」の比喩にひっかかっての話だ。京都に六年間暮らしたが、彼の地の言葉が「油のやうな」とは、どのあたりの言い回しを指しているのだろうか。「油のやうな京言葉」と言うのだから、すべすべしているけれど粘っこく聞こえているのだと思う。そんなふうに思い当たる言葉が私にあるとすれば、たとえば女の子たちがよく使う「行きよしィ」「止めときよしィ」などと、語尾をわずかに微妙に引っ張る言い方だ。語尾は頻発されるので、地の者でない人の耳には「油のやうに」粘りつくのだろう。同時に、羽子をつく歯切れのよい音が混ざるのだからなおさらだ。と、そういうことなのかもしれない。いずれにしても、聴覚で正月の光景をとらえているところは面白い。作者は戸外にいるのではなく、宿の部屋でくつろいでいるのかもしれない。『虚子五句集』(1996・岩波文庫)所収。(清水哲男)


January 0612006

 戸をさして枢の内や羽子の音

                           毛 がん

田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)より、江戸元禄期の句.季語は「羽子(つき)」で新年。作者名の「毛がん」の「がん」は、糸偏に「丸」と表記する。「枢」は「とぼそ」と読み、戸の梁(はり)と敷居とにうがった小さな穴、転じて扉や戸口のこと。追い羽根の様子を詠んだ句は数多いが、掲句は羽根つきの音だけを捉えた珍しい句だ。おそらくは、風の強い日なのだろう。町を歩いていると、とある家の中から羽子をつく音が聞こえてきたと言うのである。ただそれだけのことながら、しかしここには、戸の内にあって羽根つきをしている女の子たちの弾んだ心持ちが、よく描出されている。風が強すぎて、とても表ではつけない。でも、どうしてもついて遊びたい。そこで戸を閉めた家の中の狭い土間のようなところで、ともかくもやっとの思いでついているのに違いない。そう推測して、作者は微笑している。……と私は読んだのだが、宵曲は「風の強い日など」としながらも、夜間の羽根つきと見ているようだ。「ようだ」としか言えないのは、解説にしきりに明治以降の灯火の話が出てくるからで、しかし一方では元禄期の灯火では羽根つきは望めないとも書いており、今ひとつ文意がはっきりしない。ただ「戸をさして枢の内」を、戸をしっかりと閉めた家の中と読めば、昼間よりも夜間とするほうが正しいのかもしれない。夜間の薄暗い灯火でつく羽子の音ならばなおさらのことだが、いずれにしても正月を存分に楽しみたい女の子の心持ちが伝わってきて、好感の持てる一句である。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます