晴80、曇16、雨18、雪4。東京の過去118年間の元日の天気。私は今日も仕事です。




1999ソスN1ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0111999

 元日や手を洗ひをる夕ごころ

                           芥川龍之介

日に晴朗の気を感ぜずに、むしろ人生的な淋しさを感じている。近代的憂愁とでも言うべき境地を詠んでおり、名句の誉れ高い作品だ。世間から身をずらした個としての自己の、いわば西洋的な感覚を「夕ごころ」に巧みに溶かし込んでいて、日本的なそれと融和させたところが最高の手柄である。芭蕉や一茶などには、思いも及ばなかったであろう世界だ。ただし、芥川の手柄は手柄として素晴らしいが、この句の後に続々と詠まれてきた「夕ごころ」的ワールドの氾濫には、いささか辟易させられる。はっきり言えば、この句以降、元日の句にはひねくれたものが相当に増えてきたと言ってもよさそうだ。たとえば、よく知られた西東三鬼の「元日を白く寒しと昼寝たり」などが典型だろう。芥川の作品にこれでもかと十倍ほど塩だの胡椒だのを振りかけたような味で、三鬼の大向こう受けねらいは、なんともしつこすぎて困ったものである。「勝手に寝れば……」と思ってしまう。そこへいくと、もとより近代の憂いの味など知らなかったにせよ、一茶の「家なしも江戸の元日したりけり」のさらりと哀楽を詠みこんだ骨太い句のほうが数段優れている。つまり、一茶のほうがよほど大人だったということ。(清水哲男)


December 31121998

 うつくしや年暮れきりし夜の空

                           小林一茶

年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)


December 30121998

 門松を立てに来てゐる男かな

                           池内たけし

宅に立てに来ているのではないだろう。近所の屋敷の門前で、出入りの仕事師が黙々と門松を立てている。通りかかった作者は、立てられていく門松よりも、ふっと男のほうに視線がいった。たしか去年も、この人が来ていたな……。といって、それだけのことなのだが、歳末風景の的確なスナップショットとして、かなり印象に残る句だ。さて、商店街の宣伝用に早くから立てられる門松は別として、普通は二十日過ぎころから立てられていく。一夜飾りが嫌われるため、門松立ては小晦日(こつごもり・大晦日の前日)までにすませるのが今の風習だ。ところが江戸期くらいまでは、大晦日に立てる地方もあったらしい。そしてもっと昔になると、大晦日に立てるのが当たり前だったという説もある。その根拠に必ず上げられるのは、平安期の歌人・藤原顕季(あきすえ)の次の歌だ。「門松をいとなみたつるそのほどに春明け方に夜やなりぬらむ」。なるほど、この歌からすれば、たしかに大晦日に立てている。それも、なるべく人目につかない夜近くに……。でも、考えてみれば、このほうが正しいのではあるまいか。元日というハレの場をきちんと演出するためには、元日は昨日と同じ光景の日であってはならないからだ。(清水哲男)




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