本年も、ご愛読いただき感謝しております。よいお年をお迎えくださいますように。




1998ソスN12ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 31121998

 うつくしや年暮れきりし夜の空

                           小林一茶

年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)


December 30121998

 門松を立てに来てゐる男かな

                           池内たけし

宅に立てに来ているのではないだろう。近所の屋敷の門前で、出入りの仕事師が黙々と門松を立てている。通りかかった作者は、立てられていく門松よりも、ふっと男のほうに視線がいった。たしか去年も、この人が来ていたな……。といって、それだけのことなのだが、歳末風景の的確なスナップショットとして、かなり印象に残る句だ。さて、商店街の宣伝用に早くから立てられる門松は別として、普通は二十日過ぎころから立てられていく。一夜飾りが嫌われるため、門松立ては小晦日(こつごもり・大晦日の前日)までにすませるのが今の風習だ。ところが江戸期くらいまでは、大晦日に立てる地方もあったらしい。そしてもっと昔になると、大晦日に立てるのが当たり前だったという説もある。その根拠に必ず上げられるのは、平安期の歌人・藤原顕季(あきすえ)の次の歌だ。「門松をいとなみたつるそのほどに春明け方に夜やなりぬらむ」。なるほど、この歌からすれば、たしかに大晦日に立てている。それも、なるべく人目につかない夜近くに……。でも、考えてみれば、このほうが正しいのではあるまいか。元日というハレの場をきちんと演出するためには、元日は昨日と同じ光景の日であってはならないからだ。(清水哲男)


December 29121998

 行年や夕日の中の神田川

                           増田龍雨

年は「ゆくとし」と読ませる。神田川は東京の中心部をほぼ東西にながれ、隅田川にそそいでいる川だ。武蔵野市の井の頭池を水源としている上流部を、昔は神田上水と言った。中流部は江戸川だ。なにしろ川は長いので、同じ川の名前でも、場所によってイメージは異なる。句の神田川は、どのあたりだろうか。全国的には隅田川や多摩川ほどには知られていない川だけれど、東京人にとっては、昔の生活用水だったこともあり、懐しいひびきのする呼び名だろう。その神田川の夕暮れである。私はお茶の水駅あたりの神田川が好きなので、勝手に情景をそこに求めて読んでいるのだが、たしかに年末の風情はこたえられない。学生街だから、普段は若者で溢れている街に、年末ともなると彼らの姿は消えてしまう。そんな火の消えたような淋しい街に、神田川は猛るでもなく淀むでもなく、夕日の中でいつものように静かに息づいている。まことに「ああ、今年も暮れていくのだ」という実感がこみ上げてくる。そして、こういうときだ。私がお茶の水駅から寒風の中を十数分ほど歩いてでも、有名なビヤホールの「ランチョン」に立ち寄りたくなるのは……。かつてはこの店で、毎日のようにお見かけした吉田健一さんや唐木順三さんも、とっくの昔に鬼籍に入られた。年も逝く、人も逝く。(清水哲男)




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