放送局では明日の午前一時のことを今日の25時と言う。「明日なき世界」である。




1998ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27121998

 年の瀬のうららかなれば何もせず

                           細見綾子

れもこれもと思いながらも、結局は何事も満足にはかどらないまま過ぎてしまうのが、私の年の瀬。ならば、この句のように、今日は何もしないと思い決めたほうがすっきりする。天気は晴朗、風もなし。そう思い決めると、心の中までが「うららか」となる。他人に迷惑が及ぶわけではなし、何も焦ることはないのである。と言いつつも、ついついそこらへんの物を片付けたくなるのが、しょせんは凡人の定めだろうか。歳時記や古いタイプの暦を見ていると、昔の年用意は実に大変だったことがわかる。大掃除、餅つき、床飾り、松迎え、年木樵、春着の準備などなど、一日たりとも何もしないで過ごすわけにはいかなかったろう。ただし、暦というマニュアルに従って、頑張って事を進めていければ、ちゃんと人並みに正月が迎えられるようにはなっていた。マニュアル時代の現代において、そうした暦がないのも変な話とも言えようが、それだけ昔と比べて、正月の過ごし方やありようが多様化してきて、マニュアル化できなくなったということだろう。なにしろ、おせち料理ひとつにしても、洋風や中華風が登場する時代なのだから……。正月よりもクリスマスのほうの古典性が守られているという変な国。(清水哲男)


December 26121998

 餅搗きや焚き火のうつる嫁の顔

                           黒柳召波

戸時代の句。「うつる」は「映える」に近い内容の言葉だろう。餅つきは早朝の暗いうちから行われるのが常だったので、電灯などないころには焚き火の灯りが必要だった。また、その焚き火の威勢のよさが「餅つき」の雰囲気を盛り上げた。そんな焚き火の明るさのなかで、懸命に奮闘している嫁の姿に、作者はいたく感じ入っている。まめまめしく働く嫁に満足しており、さらには美しいと一瞬見惚れたりもしている。もちろん、彼女は今年当家に嫁いできたのだ。これで、よい正月が迎えられる……。新春を間近にした大人の無邪気が伝わってくる。ところで、この「嫁」とは誰の嫁なのだろうか。というのも、私の田舎では、昔から自分の妻のことを単に「嫁」と言い、いまだに「息子の嫁」とは区別してきている。現代の感覚からすると、句の「嫁」は後者であろうが、この場合は自分の新妻である可能性が高いと思う。だとすれば、まことにもって「ご馳走様(のろけ)」の句だ。さて、こうして大量の餅をつきおわると、あとは正月を待つばかり。なんとなく、大人も子供も神妙な顔つきになってくるから面白い。しかし、どんな世の中にも皮肉屋はいるもので『柳多留』に一句あり。「餅は搗くこれから嘘をつくばかり」と。(清水哲男)


December 25121998

 青菜つづく地平に基地の降誕祭

                           飴山 實

和二十九年(1954)の作句。この年代に意味がある。句集では掲句と並んで、「キャンプ・オーサカ、日本人労務者の首切り反対スト」と前書のある「星条旗より膨れ赤旗枯れ芝生」他一句が載っている。大不況であった。米軍基地といえどもが、経費の節減を強いられていた。まずは、弱いところからのリストラである。いつの世にも変わらぬお定まりの経営感覚だ。反発した日本人労働者が、赤旗を林立させて果敢にストライキを打ったのは当然として、しょせん米軍の強権には歯が立たなかったはずだ。当時、基地の街・立川の高校に通っていた私には、いまだに実感として納得される。植民地支配とは、ああいう理不尽なものであった。そんな基地にクリスマスが訪れ、普段とは違った静寂の日となる。周辺には冬野菜の植えられた畑が広がっており、その彼方に、一般の日本人にはうかがい知れぬベース・キャンプが鉄条網に囲まれてひっそりとしている。予告なく容赦なく轟音を響かせて飛ぶ飛行機も、今日だけはその気配もなく翼を休めている。これが彼らのクリスマスか。あのなかでは、一体どんなことが行われているのだろう。眼前の青菜と彼方の鉄条網との対比の妙。戦後史の一齣である。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます