十数年前の今日、アメリカのディズニーランド・ホテルに泊った。しーんとしていた。




1998ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25121998

 青菜つづく地平に基地の降誕祭

                           飴山 實

和二十九年(1954)の作句。この年代に意味がある。句集では掲句と並んで、「キャンプ・オーサカ、日本人労務者の首切り反対スト」と前書のある「星条旗より膨れ赤旗枯れ芝生」他一句が載っている。大不況であった。米軍基地といえどもが、経費の節減を強いられていた。まずは、弱いところからのリストラである。いつの世にも変わらぬお定まりの経営感覚だ。反発した日本人労働者が、赤旗を林立させて果敢にストライキを打ったのは当然として、しょせん米軍の強権には歯が立たなかったはずだ。当時、基地の街・立川の高校に通っていた私には、いまだに実感として納得される。植民地支配とは、ああいう理不尽なものであった。そんな基地にクリスマスが訪れ、普段とは違った静寂の日となる。周辺には冬野菜の植えられた畑が広がっており、その彼方に、一般の日本人にはうかがい知れぬベース・キャンプが鉄条網に囲まれてひっそりとしている。予告なく容赦なく轟音を響かせて飛ぶ飛行機も、今日だけはその気配もなく翼を休めている。これが彼らのクリスマスか。あのなかでは、一体どんなことが行われているのだろう。眼前の青菜と彼方の鉄条網との対比の妙。戦後史の一齣である。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


December 24121998

 子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ

                           大島民郎

リスマス・プレゼント。西洋のお年玉みたいなものだが、お年玉よりは渡し方に妙味がある。いつごろ、誰が発案したのだろうか。たいしたアイデアだ。このアイデアで最もよいところは、贈り主が匿名であるところだろう。両親からでもなければ、他の誰からでもない。すなわち、神様からのプレゼントということになる。そこが、お年玉のように恩着せがましくなくて素敵だ。ただし、神様からのプレゼントは遠い北国からサンタクロースが運んでくることになっているので、匿名に徹する親は大変である。聖夜にこっそりと枕元に置いておかなければならない。ために、その夜まで保管場所に苦労する。本ならばなるほど箪笥に隠すというテもあるが、大きな物の場合は本当に困惑する。いつだったか一輪車を買ってきたまではよかったが、クローゼットに押し込んではみたものの、いつ発見されるかとヒヤヒヤの仕通しだったことがある。それもこれもが、みな親心。クリスマスの日に、子供が喜ぶ顔を想像しては、作者も指折り数えて待っているのだ。このとき、父親は子供よりもむしろ聖夜を待ちかねていたにちがいない。(清水哲男)


December 23121998

 夜空より大きな灰や年の市

                           桂 信子

の市。新年用の品物を売る市だ。昔は社寺の境内に立つ大市のことを言ったようだが、いまでは、ちょっとした商店街の歳末大売り出しのことでもよいだろう。しかし、間違ってもスーパー・マーケットなどのそれではない。やはり、空間的には戸外の寒さが必要だ。東京でいえば、上野のアメヨコなど。寒さの中を人込みにまぎれているだけで、年の瀬を感じる。活気があり、風情がある。最近はダイオキシン騒ぎもあって焚火もご法度だが、ちょっと前までは、そんな市でのそこここでは焚火が見られた。店の人が暖を取るためと、不用になった藁や紙の類を燃やすためだ。そういうものを火に投げ込む。と、一瞬パーッと炎が大きくなり、やがて紙類は大きな灰となって夜空に舞い上がり、舞い降りてくる。そのありさまが、年の瀬ならではの情緒の一つであった。炎は、人間の心をゆさぶる。そして炎とともに上がっていく灰もまた、心をざわめかせる。いまとなっては、もはや郷愁の光景を詠んだ句だ。いや、書かれた当時から、この光景は人々の胸に郷愁のように住みついていた光景であったろう。論理矛盾ではあるけれど、目の前の出来事がすなわち郷愁なのであった。まことに、炎は魔術師という他はない。『初夏』(1977)所収。(清水哲男)




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