落葉が吹き寄せられて年も押し詰まってきた感じがします。さて、何から片付けるか。




1998ソスN12ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 19121998

 賀状書く喪中幾葉かへし読み

                           川畑火川

めに出さなければと思いつつも、結局、暮れの忙しい合間をぬって書くことになる。ひとりひとり相手を思い出していると、なかなか筆が進まない。そんななかで、暮れ近くに「喪中」の挨拶が届いた人には出さないようにするわけだが、念のために挨拶状を取り出して「喪中」かどうかを再度確認することになる。その一枚一枚を眺めていると、亡くなった人のなかには、若かったころに親しくしていただいた方も散見され、そこでまた筆が止ってしまうということになる。つらいのは、なんといっても「竹馬の友」のご両親の訃報だ。私の友人のご両親といえば、お若くても八十代前半だから、止むを得ないといえばそれまでだけれど、やはり訃報は切ない。なんとも、やりきれない。お若かったころのあれこれが思いだされて「ああ、人間はいつか死ぬのだ」と、あらためてそんな馬鹿なことをつぶやいたりもする。私の田舎は、夜になると鼻をつままれてもわからないほどの真の暗闇が訪れた。その真暗闇のそのまた奥の山の墓場に、よくしていただいたみなさんが眠っておられる……。「喪中」の葉書は多く紋切り型だが、そういうことも雄弁に語りかけてくる。作者の気持ちは、わかり過ぎるほどにわかる。(清水哲男)


December 18121998

 冬の日の川釣の竿遺しけり

                           宇佐美魚目

走に父親を亡くした作者の追悼六句の内。説明するまでもないが、故人愛用の品は涙を誘う。亡くなっても、いつもの場所にいつものように釣竿はあり、それを使う主がもはやいないことが、とんでもなく理不尽なことに感じられてならない。見ていると、いまにも父親が入ってきて、竿を手に元気に出かけていきそうな気がするからである。日差しの鈍い冬の日だけに、作者はますます陰欝な心持ちへと落ちていくのだ。人が死ねば、必ず何かを遺す。当たり前だけれど、生き残った者にはつらいとしか言いようがない。遺品は、故人よりもなお雄弁に本人を語るところがあり、その雄弁さが遺族の万感の思いを誘いだすのである。釣竿だとか鞄だとかと、なんでもない日常的な物のほうがむしろ雄弁となる。その意味からすると、故人自身が雄弁になっている著作物などは、かえって遺品としての哀しみの誘発度は少ないのではあるまいか。さらには、インターネットのホームページなどはどうだろう。故人のページが、契約切れになるまではネットの上で電子的に雄弁にも明滅している。その様子を私は、ときおり自分の死んだ後のこととして想像することがある。『秋収冬蔵』(1975)所収。(清水哲男)


December 17121998

 狸汁花札の空月真赤

                           福田蓼汀

料理屋か何かで一杯やりながら、親しい仲間と花札で遊んでいるという図。小腹が空いてきたので、みんなで狸汁を注文した。しばし休憩である。運ばれてきた狸汁をすすりながら、ちらばった花札を見るともなく見ていると、ふと真っ赤な月の札に目がいった。人を化かすのが専門の狸だけに、真っ赤な月の様子もただならぬ気配に思えたというところか。小さな花札を一挙に視覚的に拡大して、句全体を妖しい雰囲気に仕立て上げている奇妙な味が面白い。ところで、花札に「真赤な月」の絵柄はない。俗に言う「坊主」札に月が出ているものはあるけれど、月が赤いのではなく、月光にあたる部分(山の上の空)が赤く塗られているだけだ。月それ自体は真っ白である。本当は空が真っ赤ということなのだが、この札を短い言葉で形容するとなれば「空月真赤」と言うしかないだろう。そして、問題は狸汁。作者にとっての問題ではなく、私にとっての問題なのだ。というのも、これまでに一度も食べたことがないからで、いったいどういう味がするものやら見当もつかない。味噌汁にするのが普通だと聞いてはいる。でも、食したことのある友人も皆無だし、手元の角川版歳時記にも「冬の狸は脂肪が乗って悪くはないという」などと伝聞調の記述があるばかり。この解説者も、食べたことはないようだ。どなたか、狸汁を出す店をご存じの方がおられましたら、ぜひともご教示いただきたく……。(清水哲男)




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