アメリカがイラクを空爆。自己への弾劾逃れに平気で武力を行使するクレイジーな男。




1998ソスN12ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 17121998

 狸汁花札の空月真赤

                           福田蓼汀

料理屋か何かで一杯やりながら、親しい仲間と花札で遊んでいるという図。小腹が空いてきたので、みんなで狸汁を注文した。しばし休憩である。運ばれてきた狸汁をすすりながら、ちらばった花札を見るともなく見ていると、ふと真っ赤な月の札に目がいった。人を化かすのが専門の狸だけに、真っ赤な月の様子もただならぬ気配に思えたというところか。小さな花札を一挙に視覚的に拡大して、句全体を妖しい雰囲気に仕立て上げている奇妙な味が面白い。ところで、花札に「真赤な月」の絵柄はない。俗に言う「坊主」札に月が出ているものはあるけれど、月が赤いのではなく、月光にあたる部分(山の上の空)が赤く塗られているだけだ。月それ自体は真っ白である。本当は空が真っ赤ということなのだが、この札を短い言葉で形容するとなれば「空月真赤」と言うしかないだろう。そして、問題は狸汁。作者にとっての問題ではなく、私にとっての問題なのだ。というのも、これまでに一度も食べたことがないからで、いったいどういう味がするものやら見当もつかない。味噌汁にするのが普通だと聞いてはいる。でも、食したことのある友人も皆無だし、手元の角川版歳時記にも「冬の狸は脂肪が乗って悪くはないという」などと伝聞調の記述があるばかり。この解説者も、食べたことはないようだ。どなたか、狸汁を出す店をご存じの方がおられましたら、ぜひともご教示いただきたく……。(清水哲男)


December 16121998

 船のやうに年逝く人をこぼしつつ

                           矢島渚男

れていく年。誰にもそれぞれの感慨があるから、昔から季語「年逝く」や「行く年」の句はとてもたくさんある。が、ほとんどはトリビアルな身辺事情を詠んだ小振りの抒情句で、この句のように骨格の太い作品は珍しい。「船のやうに」という比喩も俳句では珍しいが、なるほど年月はいつでも水の上をすべるがごとく、容赦なく逝ってしまうのである。つづく「人をこぼしつつ」が、まことに見事な展開だ。これには、おそらく二つの意味が込められている。一つは、人の事情などお構いなしに過ぎていく容赦のない時間の流れを象徴しており、もう一つには、今年も「時の船」からこぼれ落ちて不在となった多くの死者を追悼する気持ちが込められている。「舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」と、芭蕉は『おくのほそ道』に書きつけた。この情景を年の暮れに遠望すれば、かくのごとき世界が見えてくるというわけである。蛇足ながら「舟」ではなくて「船」であるところが、やはり現代ならではの作品だ。蛇足ついでの連想だが、いわゆる「一蓮托生」の「蓮」も、現実的にはずいぶんと巨大になってきているのだと思う。『船のやうに』所収。(清水哲男)


December 15121998

 夜の霜いくとせ蕎麦をすすらざる

                           下村槐太

戦の年、師走の作。食料難時代。寒い夜に、蕎麦すらも簡単には「すすれなかった」のだ。晦日蕎麦なぞ、夢のまた夢であった。半世紀前の国民的な飢えを、いまに伝える一句である。ところで、この句が生まれた現場に立ちあっていた人がいる。後に『定本下村槐太句集』(1977)を編纂することになる金子明彦だ。「昭和二十年十二月、大阪玉造の夜の句会の席であった。私は十八歳で、いくらか年長の友人とともに、戦後急速に再開されはじめていたあちらこちらの句会を荒らしまわっていた。老人ばかりの句会に丸坊主の少年の私らが乗り込んで、高点をさらうのであった。そういう友人が案内してくれた句会で、私たちが行くともうすでに五、六人が集まっていた。(中略)やがて警防団の制服を着た長身の男がおくれて入ってくると、正面にどっかとすわった。(略)不遜で生意気だった少年の私にも、傲然として見えた。やがて被講がはじまって、選句のさい私が瞠目して選んだ句が読み上げられると、その男は低い声で「クワイタ」と名乗った。永かった戦争がすんだばかりである。(略)大阪玉造駅周辺は、そのころいちめんの焦土であった。街燈はなく夜は暗く、寒さが身にしみた。『いくとせ蕎麦をすすらざる』というなにか哀しみか、歎きにも似た切実な思いが、私のこころをとらえて離れなかったのである」。(清水哲男)




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