今夜と明日は忘年会。昨年くらいから連夜だと思うだけで辛くなった。齢には勝てぬ。




1998ソスN12ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 11121998

 一枚は綿の片寄る干布団

                           飯島晴子

当てをすれば、そういうことにはならない。頭ではわかっていても、ついついどうにもしないままに、月日が過ぎていく。誰にも、こういうことの一つや二つはあるのではなかろうか。干すたびに、綿が片寄ってしまう一枚の布団。針と糸でちょっと止めてやれば片寄ることもないのに、作者はそれをしないのである。面倒臭いという思いからだろうが、しかし、干すたびに綿をととのえるほうが、結局はよほど面倒である。理屈はそうなるのだけれど、やはり作者は干すたびに綿を整えるほうを選んでいる。実は、私の一枚の掛け布団もそういう状態になっているので、この句を見つけたときには笑ってしまった。この布団を私の物臭の象徴とすれば、他にもぞろぞろと類似の事柄が想起される。ジーパンのポケットのなかで、ほつれた糸がこんがらかったままになっている。これもその一つだ。キーホルダーの鎖がいつも引っ掛かって、取りにくいったらありゃしない。ハサミで糸を切ってしまえば、どんなに楽になるだろう。でも、それをしないままに過ごしている。即物的な事柄でもこれだから、心のなかの様々なこんがらがりは、日々「増殖」していくというわけだ。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)


December 10121998

 冬の街戞々とゆき恋もなし

                           藤田湘子

て、この見慣れない漢字「戞(かつ)」とは何を意味するのだろうか。さっそく漢和辞典を引いてみたら、「戞」は「戈(ほこ)」のことであり、字解としては「戈で首を切る」意とあった。なるほど、戈の上に頭部が乗っかっている。で、「戞々」は「かつかつ」と発音する。馬のヒヅメの音などを表現するのに使われていた言葉らしく、この場合は人の足音に流用されている。このときの作者は、まだ二十代。あえて難しい漢字をもってきたのは、あながち若気のいたりからでもあるまいと読んだ。平板に「かつかつと」とやったのでは、どうにもシマラない。青年に特有の昂然たる気合いが、いまひとつ表現できない。だから「戞々と」と漢語を使用することで、そのあたりの気分を出したかったのだろう。したがって「恋もなし」とは言っているが、これはほとんどつけたりである。主眼は、ひとりの若者が孤独などものともせずに己れの信じる道を行くのだという「述志の詩」なのだ。冬の街だからこそ、寒気にさからうように昂然と眉を上げて歩いていくというわけだ。その意気込みが「戞々」に込められている。やはり「戞々」でなければならないのだった。『途上』(1955)所収。(清水哲男)


December 09121998

 風邪衾かすかに重し吾子が踏む

                           能村登四郎

具の「衾(ふすま)」には特殊なものもあるが、この場合は普通の掛け布団と解してよいだろう。作者は風邪で寝込んでいる。高熱のなかでうつらうつらしていると、かすかに布団が重くなったような気がした。どうしてだろうか。少し考えて、ああきっと子供がいま裾を踏んでいったからだろうと納得している。高熱ゆえの判断力の低下である。誰にでも、似たような体験はあるだろう。……と、この一句からではここまでしか読めないが、実はこのときの作者に子供などいなかったことを知ると、俄然、句は違う色合いを帯びてくる。子供はいたのだが、六歳のときに病没している。死に別れている。したがって、子供が布団を踏むことなどはありえないわけだ。でも、作者にはそう思えた。あくまでも高熱ゆえの幻想なのだけれど、この幻想からわき出てくる悲哀の感情は読む者の心にずしりと重くのしかかるようだ。このような句を前にすると、俳句を読むとはどういうことかと考えさせられてしまう。作者の人生、作者の境遇を知らないと読み違えることがあるからだ。テキストだけでは成立しない句も含めて、俳句は芒洋として歩いてきたというしかない。『咀嚼音』所収。(清水哲男)




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