太平洋戦争開戦日。映画『海軍』のこの朝の町の様子と太宰治『十二月八日』が絶品。




1998N128句(前日までの二句を含む)

December 08121998

 短日や塀乗り越ゆる生徒また

                           森田 峠

者は高校教師だったから「教室の寒く生徒ら笑はざり」など、生徒との交流を書いた作品が多い。この句は、下校時間が過ぎて校門が閉められた後の情景だろう。職員室から見ていると、何人かの生徒がバラバラッと塀を乗り越えていく様子が目に入った。短日ゆえに、彼らはほとんど影でしかない。が、教師には「また、アイツらだな」と、すぐにわかってしまうのである。規則破りの常連である彼らに、しかし作者は親愛の情すら抱いているようだ。いたずらっ子ほど記憶に残るとは、どんな教師も述懐するところだが、その現場においても「たまらない奴らだ」と思いながらも、句のように既に半分は許してしまっている。昭和28年(1953)の句。思い返せば、この年の私はまさに高校一年生で、しばしば塀を乗り越えるほうの生徒だった。が、句とは事情が大きく異なっていて、まだ明るい時間に学校から脱出していた。というのも、生徒会が開かれる日は、成立定数を確保するために、あろうことか生徒会の役員が自治会活動に不熱心な生徒を帰さないようにと、校門を閉じるのが常だったからである。校門を閉めたメンバーのほとんどは「立川高校共産党細胞」に所属していたと思われる。「反米愛国」が、我が生徒会の基調であった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


December 07121998

 金網にボールがはまり冬紅葉

                           川崎展宏

ニスのボールかもしれないが、この場合は野球のボールのほうが面白い。もちろん、草野球だ。軟式のボールは、ときにキャッチャー・マスクにはまってしまうほど変形しやすいのである。折しも金網を直撃したボールが、そのまま落ちてこなくなった。追いかけた野手が、茫然と金網を見上げている。そのうちに、他のメンバーも一人、二人と寄ってくる。相手方の何人かも駆け寄ってきて、ついには審判も含めた全員が金網を見上げるという事態になる。手をかけてゆさぶってみるのだが、はまり込んだボールは一向に落ちてきそうもない。なかには、グラブをぶつける奴もいる。しばらく、ゲームは中断である。と、それまで試合に熱中していて気がつかなかったのだが、場外のあちこちには、まだ美しく紅葉した木々の葉が残っているという情景。にわかに、初冬のひんやりした大気が、ほてった身体に染み込んでくるようである。そして、ナインはそれぞれに、もう野球ができなくなる季節の訪れが近いことを感じるのでもある。このボールは、落ちてきたのだろうか。『夏』(1990)所収。(清水哲男)


December 06121998

 おでん煮えさまざまの顔通りけり

                           波多野爽波

台のおでん屋。あそこは一人で座ると、けっこう所在ないものだ。テレビドラマでも映画でもないのだから、人生の達人みたいな格好の良いおじさんが屋台を引いてくるわけではない。だから、おじさんと人生論などかわすでもない時が過ぎていくだけだ。したがって客としても、そんなおじさんをじろじろ眺めているわけにもいかず、必然的に、目のやり場としては、屋台の周辺を通っていく見知らぬ誰彼の方に定まるということになる。と、まさに句のように「さまざまな顔が通り」すぎていく。それがどうしたということもなく、チクワやハンペンをもそもそと食べ、なぜかアルコールの薄い感じのする酒をすすりながら、「さまざまな顔」をぼんやりと見送っているという次第。句の舞台はわからないが、爽波は京都在住だったので、勝手に見当をつければ出町柳あたりだろうか。出町柳には、私の学生時代に毎晩屋台を引いてくる「おばさん」がいた。安かったのでよく寄ったのだが、彼女は学生と知ると説教をはじめるタイプで、辟易した思い出がある。「悪い女にひっかからないように」というのが、彼女得意の説教のテーマであり、辟易はしていたが、おかげさまで今日まではひっかからないで(多分……)すんでいるようだ。『骰子』(1986)所収。(清水哲男)




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