毎日書いていると、米櫃の米がなくなるように書くべき俳句がなくなってくる感じ。




1998ソスN11ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 29111998

 冬星照らすレグホンの胸嫁寝しや

                           香西照雄

祖「腸詰俳句」の中村草田男に師事した人ならではの作品だ。「腸詰俳句」の命名は山本健吉によるものだが、とにかく俳句という小さな詩型にいろいろなものをギュウギュウ詰め込むことをもって特長とする。この句でいえば、たいていの俳人は下五の「嫁寝しや」までを入れることは考えない。考えついたとしても、放棄する。放棄することによって、すらりとした美しい句の姿ができるからだ。そこらへんを草田男は、たとえ姿はきれいじゃなくても、言いたいことは言わなければならぬと突進した。作者もまた、同じ道を行った。戦後も六年ほど過ぎた寒い夜の句だ。レグホンは鶏の種類で、この場合は「白色レグホン」だろう。その純白の胸が冬空の下の鶏小屋にうっすらと見えている様子は、私も何度も見たことがあり、一種の寂寥感をかき立ててくる光景だった。子供だった私には、人間の女性の胸を思わせるという連想までにはいたらなかったけれど、わけもなく切ない気持ちになったことだけは覚えている。作者は、鶏も眠ってしまったこの時間に、我が妻も含めて世間の「嫁」たちは、忙しい家事から解放されて、やすらかに床につけただろうか。と、社会的な弱者でしかなかったすべての「嫁」たちに対して、ヒューマンな挨拶を送っている。『対話』(1964)所収。(清水哲男)


November 28111998

 梅漬の種が真赤ぞ甲斐の冬

                           飯田龍太

斐は盆地(甲府盆地)だから、夏はひどく暑く、冬の底冷えは厳しい。その意味で、私の知っている土地で言うと、京都の気候に似ている。似ているからといって、しかし、この句を「京の冬」とやっても通用しない。京都には、「真赤ぞ」の「ぞ」を受けとめるだけの地力に欠けているからである。やはり、作者のよく知る「甲斐の冬」でなければならないのだ。甲斐には、作者渾身の「ぞ」を受けとめて跳ね返すほどのパワーがある。このような「ぞ」と釣り合う土地は、少なくとも現代の大都市にはないだろう。さて、この句は何を言いたいのか。わからなくて何度も舌頭にころがしているうちに、深い郷土愛に根ざした自己激励の句だと思えてきた。「ぞ」は甲斐の国に向けられていると同時に、作者自身にも向けられている。郷土に向けて叫ばれているときの真っ赤な種は作者自身であり、作者に向けられているときのそれは郷土の守護霊のようなものだ。そしてこのとき、作者の眼前に真っ赤な種があるわけではないだろう。厳寒の郷土にあっての身震いするような志が、おのずから引き寄せた鮮やかなイメージなのである。(清水哲男)


November 27111998

 月夜しぐれ銀婚の銀降るように

                           佐藤鬼房

婚の日の月夜に、まさかの時雨れである。その雨の糸を銀と見立てた、まことに美しい抒情句だ。このように、俳句の得意の一つは、境涯をうたうことにある。それも、人生や生活の来し方の余計なあれやこれやを可能なかぎり削り落として、辿り着いた純なる心持ちをうたうのである。このあたりが現代詩などとはまったく違った方法であり、俳句が好きになるかどうかも、一つはこうした境涯句に賛成できるか否かにかかっていると思う。現代詩とて、もとより境涯をうたうことはある。しかし、俳人と大きく異なるのは、境涯を辿り着いた地点とは見ないところだ。銀婚であれ何であれ、それらを人生や生活のプロセスとしてつかまえようとする。したがって、純なる心持ちなどは信じない。仮にそういう心持ちがあるにしても、それを極力疑おうとする。今年出た詩集に、多田智満子が境涯を書いたと言える『川のほとりに』があるが、読んでいると俳人の方法とのとてつもない落差を感じてしまう。彼女を誘ういわば「死神」は「死ぬのもなかなかいいものだよ」などと、平気で言うのである。明らかに、境涯をプロセスとして捉えている書き方だ。『地楡』(1975)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます