三鷹図書館の返却日。俳句本ばかり借りているうちに、借りる本がなくなってきた。




1998ソスN11ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 22111998

 くもり来て二の酉の夜のあたゝかに

                           久保田万太郎

の市は、十一月の酉の日に各地の神社で行われる祭礼。若いころ、新宿・花園神社の近くの酒場に入り浸っていた。そこのマダムが熱心で、毎年客の誰かれを誘っては熊手を求めに出かけていたものだが、私はいつも留守番組であった。行かなかった理由は、単純に寒いから……。とくに二の酉ともなると、夜は冷えこむ。何を好きこのんで、寒空の下で震えに出かける必要があろうか。とまあ、不精だったわけだ。したがって逆に、句の作者のほっとしたような心持ちだけはわかる。曇ってくれば、多少とも寒気が薄れる。ありがたや、という気分。それと「二の酉」は「一の酉」とはちがって、少し緊張感には欠ける面がある。そんな気分的な余裕も、よく描かれている。各地の神社の祭礼と言ったが、本来は鷲(おおとり)神社のそれで、東京だと浅草千束の大鳥神社が発祥の地。江戸期にはふだんは誰も参詣せず、酉の市の日だけ賑わったそうで、なんだか可哀相な神社だったらしい。もっと可哀相なのは、実は鷲神社の本社は大阪堺の大鳥神社なのだが、本店は栄えずに支店のほうがお株を奪ってしまったことだ。大阪の人に「お酉さま」と言っても、「ナンヤ、ソレ」みたいな顔をする。(清水哲男)


November 21111998

 帰り花鶴折るうちに折り殺す

                           赤尾兜子

聞やテレビで、今年はしきりに「帰り花」が報道される。「帰り花」は「狂ひ花」とも言われて、異常気象のために、冬に咲くはずもない桜や桃や梨の花が咲くことを指す。いわゆる「小春日和」がながくつづいたりすることで、花たちも咲く季節を間違えてしまうというわけだ。この句には、平井照敏の解説がある。「『鶴折るうちに折り殺す』という表現から、われわれは、折り紙で鶴を折っているうちに、指先のこまかい動きに堪えきれなくなって、紙をまるめてしまうか、あるいは無器用に首を引き出すところでつい力を入れすぎて引き裂いてしまうかするところを想像するのだが、それを『鶴折るうちに折り殺す』ということばで表現するところに、兜子のいらだつ神経、あるいは残酷にまでたかぶる心理を感ずるのである。……」(『鑑賞現代俳句全集』第十巻・1981)。私もそうだが、たいていの人は「帰り花」に首をかしげながらも、どちらかというと明るい心持ちになるのが普通だろう。しかし、兜子は「狂ひ花」の季節に完全に苛立っている。このような鋭敏な感覚を指して、世間はしばしば「狂ひ花」のように見立てたりする。でも、この場合、狂っているのは、少なくとも兜子のほうではないのである。『歳華集』(1975)所収。(清水哲男)


November 20111998

 着ぶくれし子に発掘のもの並ぶ

                           浜崎素粒子

今の遺跡発掘の成果には目覚ましいものがあるが、発掘現場を詠んだ句は珍しい。子供は好奇心のカタマリだから、北風の吹くなかでも、飽きもせずに大人たちの作業を目を輝かせて眺めているのだ。その周辺に、次々と土器のかけらやら木片やらが置かれてゆく。「さわっちゃ駄目だよ」くらいは、言われているだろう。そんな泥だらけのものに興味はないので、さわりたくもないが、子供はそのうちに、きっと何かスゴいものが出てくるのではないかと、いつまでもその場を離れない。そんな子供の姿に、作者は目を細めている。着ぶくれた子供に、昔の自分を重ね合わせていてるのかもしれない。ここで、「子供」と「発掘のもの」とは、同時的並列的に詠まれている。しかし、よく考えてみれば、「子供」は未来へとつながる時間を持ち、「発掘のもの」は過去へとさかのぼる時間を持つ。この時間的垂直性を、眼前に並列させたところが、この句の面白さだ。なんでもなさそうな光景が、かく詠まれることにより、かく深みのある作品となった。「俳句文芸」(1998年2月号)所載。(清水哲男)




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