東京では小春日和がつづいている。大いに助かるが、美しい紅葉は望めそうもない。




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November 16111998

 昼めしの精進揚や冬隣

                           川上梨屋

進揚(しょうじんあげ)は、野菜の天ぷらのこと。人参、ごぼう、茄子、さといも、れんこん、南瓜……。そして、ときには三つ葉などの葉物類。魚など生臭いものは揚げないので、精進揚という。あっさりしていて、私の好みだ。深大寺(東京・調布)の山門への登り口に野草の天ぷらを出す店があって、これも精進揚である。たまに寄ってみるが、いつも美味い。ところで、句の精進揚は、昨夜のおかずの残りか何かで冷えきっていると読んだ。暖かい季節には、冷えた天ぷらもまた美味なものだが、そぞろ寒さがきざしてくる頃ともなると、その冷たさは歯にしみ、侘びしさにも通じてくる。作者の職業は、実は「鰻屋」さん。で、これから店を開ける準備にかかる前の昼飯なのだから、悠長におかずなど作ってはいられないのだ。昨夜の残り物で、適当にすませてしまうというわけである。ありあわせの精進揚での昼飯に、その冷たい侘びしさともあいまって、冬がもうすぐ近くに来ていることを、いやでも実感させられてしまう。食べ物を扱っている人は、やはり食べ物での説得が人一倍巧みである。(清水哲男)


November 15111998

 ふと咲けば山茶花の散りはじめかな

                           平井照敏

ことに句の言う通りであって、山茶花ほどにせわしない花はない。「ふと」咲いたかと思うと、すぐに散りはじめる。散ったかと思う暇もなく、すぐに次々と咲きはじめる。したがって、いつも咲いているが、いつも散っている。桜花のように、散るのを惜しまれる花ではなくて、散るのをむしろアキレられる花だと言ってもよいだろう。古来、この花についてだけは、異常なほどに散る様子を詠んだ句が多いのもうなずける。作者の編纂した『新歳時記』(河出文庫・1989)にも、たとえば寒川鼠骨の「無始無終山茶花たゞに開落す」というせわしなさの極地のような句があげられており、他にも「山茶花の散るにまかせて晴れ渡り」(永井龍男)が載っている。我が家の庭にもコイツが一本あって、この時間にもしきりに咲き、しきりに散っているはずだ。散り敷かれた淡紅色のはなびらのおかげで、庭はにぎやかなこと限りなし。どこにでもあるさりげない存在の植物ながら、この時季の賑やかな山茶花には、毎年大いに楽しませてもらっている。「俳句文芸」(1998年11月号)所載。(清水哲男)


November 14111998

 朝餉なる小蕪がにほふやや寒く

                           及川 貞

語は蕪(冬の季語)ではなくて、この場合は「やや寒」であり、季節は晩秋だ。いまでこそ蕪(かぶ)は一年中出回るようになったけれど、元来は晩秋から冬にかけて収穫された野菜である。不思議なもので、この時期になると香りが高くなってくる。暑い時期の蕪には、まったく匂いがない。したがって、晩秋の朝の食卓に出されたこの小蕪は、さぞかし匂い立っていたことだろう。味噌汁に入れられたのか、それとも糠味噌漬けであろうか。どちらでもよく、読者の好きなほうにまかされている。やや寒の朝の実感が小蕪の香りと実によく釣り合っており、こんなときにこそ「よくぞ日本に生まれけり」と合点したくなる。蕪は小蕪もよいが、大蕪もよい。私は京都に暮らしていたことがあるので、巨大な聖護院蕪は忘れられない。普通でも2キロくらいの重さはありそうだ。京都名産千枚漬を作るアレである。ただ、今年は天候不順の影響で、聖護院蕪の収穫も大幅に遅れているという。したがって、まだ京都でも千枚漬はそんなに出回ってはいないらしい。毎朝のように見ているテレビ番組『はなまるマーケット』(TBSテレビ系)の情報による。(清水哲男)




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