若貴敗退。九州場所は荒れるので有名だが、今度ばかりは大相撲衰退の兆にうつる。




1998ソスN11ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 11111998

 六面の銀屏に灯のもみ合へり

                           上村占魚

箔地の大屏風が引きまわしてあり、その六面に灯火があたっている様子。たしかに光りは反射し合ってもみ合うように見え、その様で屏風はひときわ豪奢な感じに映えてくる。屏風というと、たいていの人は屏風絵に心を奪われるようだが、作者は屏風という存在そのものに光りをあてていると言うべきか。句の屏風も、今日でも結婚披露宴などで用いられる金屏風などと同じく様式化されたものだが、元来は風よけの衝立として中国から渡来した生活道具であった。だから、屏風は冬の季語。六曲一双が基準であるが、これは簡単に倒れないための物理的な工夫から出た結論だろう。私が子供だったころには、まだ生活道具としての屏風が使われていた。句のような大きいものではなく、高さが一メートルにも足りない小屏風で、寝ている赤ん坊に隙間風があたらないように立てられていたことを覚えている。そんな小さな屏風は無地であったが、やがて赤ん坊が大きくなってくると、絶好の落書きボードに様変わりするのは当然の運命である。なにせ大の大人にしてからが、屏風の白くて大きな平面の誘惑に耐え切れずに、ああでもないこうでもないと箔を貼ったり絵を描いたりしてきたのだから……。『鮎』(1946)所収。(清水哲男)


November 10111998

 秋冷のまなじりにあるみだれ髪

                           飯田蛇笏

の句を解説して、歌人であり小説家でもあった上田三四二は、『鑑賞現代俳句全集・第二巻』(立風書房・1980)で「僅々十七字の中から、明眸の女人の顔がくっきりと浮かび上がる」と述べている。そうだろうか。私が直覚的に感じるのは、美人(明眸)の顔というよりも、むしろ男にとっての女性の「性」そのものである。明眸にこしたことはないけれど、作者が訴えているのはそういうことではなくて、冷たい秋風のなかでのまなじりにかかった髪の毛に、不意に触発される男でなければ感じられない「性意識」なのではあるまいか。顔はさして問題ではなく、冷たい外気のなかにあってもなお熱く発現してしまう(と、男が感じる)「女」全体のありようを象徴させている句だと思う。昭和二十九年(1954)の作品というから、蛇笏は七十歳を間近にしていたわけで、単に美人の顔をそれとして詠むのであれば、このような技巧は不必要である。女の顔の美しさよりも、女の「性」のしたたかな熱さに、作者は一瞬たじろいでいるのだ。だからこそ「秋冷」の季語も利いてくるのである。『飯田蛇笏全句集』(1971)所収。(清水哲男)


November 09111998

 淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守

                           原 石鼎

正二年(1913)、深吉野での作品。俳句を読む楽しさは、句に仕掛けられた謎を解くことにある。推理小説では著者が謎を解いてみせるが、俳句では探偵の役が読者にゆだねられている。……とは、復本一郎氏の至言だ。ただ謎にもいろいろあって、句が生まれたときと同時代に生きていればなんでもない言葉が、時を経てわからなくなる謎がもっとも困る。俳句観賞というとき、こうした死語に費やされる説明の何と多いことか。句の「鹿火屋(かびや)」も代表的な例で、少年期に農村で暮らした私にも、これが季語だと言われてもピンと来ない。「鹿火屋」とは、田畑を鹿や猪に荒らされないために、夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを言った。句のように、ときどき銅鑼(ドラ)を打ち鳴らしもしたらしい。森閑とした闇のなかで番人は夜通し起きているわけだから、その淋しさに耐えかねて、ガンガガーンと内心では遠慮しつつもしばしば打ちたくなっただろう。それを里で聞いている作者には、誰とも知らない彼の淋しさが心に凍み入るのである。石鼎が仕掛けた謎は、もとより「鹿火屋」にはなく、このときの「鹿火屋守」の心情や如何にということであった。『花影』(1937)所収。(清水哲男)




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