November 061998
ゐなくなるぞゐなくなるぞと残る虫
矢島渚男
庭の千草も虫の音も、枯れて淋しくなりにけり……。これはこれで素敵な詩だ。が、句のように枯れ果てる一歩手前の虫の音を、このようにとらえた作品は珍しくもあり見事でもある。ここで作者は、わずかに残った虫どもに「ゐなくなるぞ」と、いわば脅迫されている。この句を知ってからというものは、私も「今夜で消えるのか、明日までもつのか」などと、消えていく虫の声が気になって仕方がなくなってしまった。でも、ミもフタもない話をしておけば、虫の音が枯れてくるのは物理的な理由による。一つは、数が減ってくること。これは当たり前。もう一つは、虫の音は周知のようにハネをこすりあわせることで「声」のように聞こえるのだが、初秋のころには元気だったハネも、こすっているうちにだんだんと摩滅してくるからだ。で、晩秋ともなると擦り切れてしまい、哀れをもよおすような音しか出なくなってしまう。決して、虫が感傷的に鳴いているのではない。だが、その物理的な理由による消え入るような細い声を、このように聞いている人もいる。そう思うだけで、残った虫たちには失礼なことながら、逆に心温まる気持ちがしてくる。『梟』(1990)所収。(清水哲男)
November 051998
団栗の己が落葉に埋れけり
渡辺水巴
季語は「団栗(どんぐり)」。「落葉」も季語だが、こちらだと冬になってしまうので、この句の場合は秋の「団栗」だ。物の本によると、団栗はブナ科コナラ属の落葉高木である櫟(くぬぎ)の実のことをいうようだ。しかし一般的には、その他の楢(なら)や樫(かし)の実なども団栗と呼んできた。ま、それぞれの人がこれが団栗だと思っている実は、すべて団栗だということにしてもよいと思う。さて、この句は軽い句ではあるけれども、なかなかに読ませる。団栗というと、つい「ドングリコロコロ」の童謡みたいな様子をとらえてしまいがちなので、自分の葉っぱに埋もれている団栗の姿は新鮮にうつる。情景としてはありふれていても、このような句に仕立て上げたのは、やはり水巴の手柄というべきだろう。作句されたのは、明治三十九年(1906)。当時の水巴は東京・浅草に住んでいた。してみると、この頃の浅草には団栗のなる木もあったというわけだ。もしかすると、神社の社(もり)あたりかもしれない……。晩秋の都会の片隅での、これは微笑ましくも秀逸な発見の句である。『水巴句集』(1956)所収。(清水哲男)
November 041998
薮蔭や蔦もからまぬ唐辛子
萩原朔太郎
言わずと知れた口語自由詩の先駆的詩人の句だ。朔太郎の詩観も俳句観も抒情性を根幹に据え、口語詩においても、調べを重視したことでよく知られている。残されている俳句は十七句。掲句は「遺構」と題された七句のうちの一句で、前書には「隠遁の情止みがたく、芭蕉を思うふこと切なり」とある。薮蔭の唐辛子(とうがらし)は詩人自身の境遇を暗示しており、真紅の唐辛子には程遠い弱々しげな色彩の「我」には、もはや蔦もからまないのである。このとき希求するのは、ただ世間から孤絶することのみ。すなわち、隠遁である。実際、晩年の朔太郎は自宅にこもりきりとなり、激しい人間嫌いになっていたようだ。辞世の句というと、案外と明るさを湛えた句が多いなかで、この朔太郎句は真っ暗である。闇である。言葉の本当の意味での「悲観」の句だ。持って生まれた詩的感受性を、最後まで引きずって生きた人という他はない。同じ「遺構」のなかに有名な「虹立つや人馬賑ふ空の上」の句もあり、一見明るくも読めるけれど、前書の「わが幻想の都市は空にあり」を思い合わせれば、やはり現世の闇をうたっている。『萩原朔太郎全集』(1978)所収。(清水哲男)
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