横浜が王手。最近は「成金」も聞かないし将棋用語で生きているのは「王手」だけ。




1998ソスN10ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 25101998

 梨園の番犬梨を丸齧り

                           平畑静塔

をもぐ季節としてはいささか遅すぎるが、犬が梨を食べるとは知らなかったので、あわてての掲載だ。三鷹図書館から借りてきた『自選自解・平畑静塔句集』(白鳳社・1985)で、発見した。さっそく、作者に語ってもらおう。舞台は、宇都宮南部の梨園である。「……この梨園の出口に一頭の大犬が括られて番犬の用をさせられている。裏口からもぐり込むのを防ぐのだが、めったに吠えない。私たち初見のものも、人相風体がよいのか、吠えようとしないで近づくので、手にした梨を一つ地に置くと、番犬はしめたとばかりにかじりついて、丸ごと梨を食べてしまったのである。お見事と云うよりほかに言葉なしに感に入ったのである」。犬に梨園の番をさせるというのも初耳だが、梨を好む犬がいるとは、ついぞ聞いたことがない。梨園の番をしているうちに、好きになってしまったのだろうか。もっとも、私は犬を飼った経験がないので、単に知識が不足しているだけなのかもしれないのだけれど……。ところで「なしえん」と読まずに「りえん」と読む梨園(歌舞伎界)もある。作者の自解がなかったら、こちらの梨園と解釈するところだった。あぶない、あぶない。『漁歌』(1981)所収。(清水哲男)


October 24101998

 落花生みのりすくなく土ふるふ

                           百合山羽公

姓の、このみじめさをわかる人が、いまのこの国に何人くらいいるだろうか。とても百万人以上は、いそうもないような気がする。が、わからなくても、わからない人の責任ではない。地中で実を結ぶ植物であることを知らない人も多くなってきたが、その人たちの認識不足と責めるわけにもいかない。日本の農業は、もうとっくの昔に「知られざる産業」になっているからだ。落花生はかつて、肥沃でない土地でも育つ代表的な豆科の植物として有名だった。砂地みたいなところでも、元気に育った。にもかかわらず、何かの拍子でこういうことになったりする。引っこ抜くとスカスカな感じの鞘(さや)が現われて、土をふるう手に元気がなくなるのも当然だ。昔の農家での落花生栽培は、たいていが現金収入を得るための方策だったから、気持ちも萎えるわけである。このページをはじめてから、歳時記を開かない日はないが、このような句の将来を思うと、暗澹たる気分になってくる。四季に生起する自然現象に依拠した構成の歳時記も、やがてはなくなってしまうのではあるまいか。最近、ヤケに人事句が流行しているのも、その兆しだろう。ならば、当サイトでは「最後のクラシカルな歳時記」を目指そうか。……などと、時々肩に力が入り過ぎるので、ハンセイはしています。(清水哲男)


October 23101998

 鯛焼やいつか極道身を離る

                           五所平之助

者は『煙突の見える場所』などで知られた映画監督。本邦初の本格的トーキー映画『マダムと女房』(1931)を撮った人だ。「旅」と「カメラ」と「俳句」を趣味とした。その昔、前田普羅の「加比丹」同人だったこともある。「鯛焼」と「極道(ごくどう)」との取り合わせが面白い。それも取り合わせの妙というのではなく、しごく自然な時の流れのなかでのことなのだから、面白いというよりも泣き笑い的な淋しさがあると言うべきかもしれない。若いころにはそれなりに「ワル」だったと自認してきたが、いつしか「ワル」としての突っぱりにもくたびれてしまい、気がついたら、なんとふにゃらふにゃらと「鯛焼」なんぞを嬉しそうに食っている。……ザマはねえ。我が青春は、はるか遠くに過ぎ去ったという感慨だ。が、当今流行の赤瀬川原平風に言うと「老人力がついてきた」句ということになる。これからはますます老人の句や文芸が増えてきそうだが、あまりに早く、過ぎ去った年月を抒情するのは危険だ。余命が長すぎて、そこから先に進めなくなる。そういうことは、十二分に「老人力」がついてからにしたほうがよさそうである。『五所亭俳句集』(1969)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます