凡戦続きの日本シリーズ。疲れるだけ。と言いながら、見ないわけにもいかないし。




1998ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23101998

 鯛焼やいつか極道身を離る

                           五所平之助

者は『煙突の見える場所』などで知られた映画監督。本邦初の本格的トーキー映画『マダムと女房』(1931)を撮った人だ。「旅」と「カメラ」と「俳句」を趣味とした。その昔、前田普羅の「加比丹」同人だったこともある。「鯛焼」と「極道(ごくどう)」との取り合わせが面白い。それも取り合わせの妙というのではなく、しごく自然な時の流れのなかでのことなのだから、面白いというよりも泣き笑い的な淋しさがあると言うべきかもしれない。若いころにはそれなりに「ワル」だったと自認してきたが、いつしか「ワル」としての突っぱりにもくたびれてしまい、気がついたら、なんとふにゃらふにゃらと「鯛焼」なんぞを嬉しそうに食っている。……ザマはねえ。我が青春は、はるか遠くに過ぎ去ったという感慨だ。が、当今流行の赤瀬川原平風に言うと「老人力がついてきた」句ということになる。これからはますます老人の句や文芸が増えてきそうだが、あまりに早く、過ぎ去った年月を抒情するのは危険だ。余命が長すぎて、そこから先に進めなくなる。そういうことは、十二分に「老人力」がついてからにしたほうがよさそうである。『五所亭俳句集』(1969)所収。(清水哲男)


October 22101998

 秋霧のしづく落して晴れにけり

                           前田普羅

辞麗句という言い方がある。もちろん俳句の「句」を指しているわけではなく、よい意味に使われることのない言い方だが、この句を読んだ途端に、私はこれぞ文字通りに率直な意味での「美辞麗句」だと思った。とにかく、しばし身がしびれるくらいに美しい句だからである。光景としては、濃い秋の霧がはれてくるにつれて、上空の見事に真青な空が見えてきた。周囲の霧に濡れた草や木々はいまだ雫を落としており、そこにさんさんと朝日があたりはじめたというところだろう。この句が美しくあるのは、なんといっても「秋霧の」の「の」が利いているからだ。「秋霧のしづく」を落としている主体は草や木々であることに疑いはないが、しかし、この「の」はかすかに「秋霧」そのものが主体となっている趣きも含んでいる。つまり、この「秋霧」はどこか人格的なのであり、くだいていえば「山の精」のような響きをそなえている。そのような「山の精」が雫を落としている……のだ。舞台の山も登山などのための山ではなく、山国で山に向き合って生活している人ならではの山なのであり、山に暮らしている人ならではの微妙な、そして俳句ならではの絶妙な言葉使いが、ここに「美麗」に結晶している。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


October 21101998

 汽罐車の火夫に故郷の夜の稲架

                           大野林火

夫(かふ)は、汽罐車の罐焚きのこと。稲架は、刈り取った稲を乾燥させるための木組み(ないしは竹組み)のことだが、これを「はざ」と呼ぶのは何故だろうか。私の田舎(山口県)では、単に「いねかけ」と言っていたような記憶がある。稲城という地名があるが、この稲城も稲架のことである。ところで、この句は身延線で汽罐車を見た際のフィクションだと、林火自身が述べている。「火夫は、まだ若い。いま汽罐車はその故郷を通過している。沿線には稲架が立ち並び、その数や厚みで、今年の稔りがどうであったかはこの火夫にすぐ知られよう。そこには父母・兄弟の手掛けた稲架も交っていよう。罐焚きの石炭をくべる手に一段と力の入ったことであろう。この句、そうした空想のもとになっている」。空想にせよ、この国の産業が農業ベースから外れてきはじめた頃(1964)、生まれ育った土地を離れて働く者の哀感がよく伝わってくる。夜の汽罐車を、走らせる側からとらえた目も出色だ。『雪華』(1965)所収。(清水哲男)




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